SAHO TERAO / 寺尾紗穂

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Uchiakeの記 vol.7 射水篇 その3

Uchiakeの記 vol.7 射水篇 その3


1人目 BTSロスから抜けきれない新聞記者 タジリさん
2人目 歌いたい男性 ホリエさん
3人目 自分でも「語りの集い」をやりたいフリーライター マエダさん
4人目 演歌歌手になりたい高校生 ハシモトさん
5人目 「楕円の夢」を聴けなくなった作家 アイダさん
6人目 今年お母さんを見送った写真家 タケダさん
7人目 役割を「演じる」ことに疑問を感じるソーシャルワーカー ワタナベさん
8人目 満員電車への疑問を禁じ得ないサラリーマン ラスカルさん 
9人目 明日が来るのが怖くてしかたがない タケノウチさん
10人目 久々に大人の集まる場に出てこられたお母さん アライさん  

7人目 役割を「演じる」ことに疑問を感じるソーシャルワーカー ワタナベさん

富山にきて3年半だというワタナベさんは、「どっちかっていうと盛り上げる話より、しーんとする話が好きで、そういう場じゃないと行けない」タイプ。吉祥寺での初回のuchiakeに参加してくれた納棺士のキクチさんに薦められて今回参加した。過去15回転職を繰り返し、お金が溜まると辞めていたワタナベさんは、初めてクビになり心は荒れていた。「なんか誰とも会いたくなかったけど、たまたまソケリッサのとこに行ったら、"あ、そこに居場所があった"と思って。で、上野公園とか通ったりして。で、この前富山来た時に、ソケリッサの人たち遊びに来てくれたりして、コイソさんからMV撮りなおしたいとか色々話を聞いて。いろんなところで寺尾さんの話を聞いてはいたんですけど、なんかみんな友達みたいに話すんですよね。で、なんか面白いなって思って。
歌を初めて聞いたのは、4年前にソケリッサのワークショップに行った時に、たまたまそのCDが流されていて。で、一緒に踊っておられて。その時にコイソさんがすごく蝶々みたいに見えたんです(笑)。で、その時に流れてたのが、その時に曲名全然知らなくて、初めて聴いたんですけど。それが多分"たよりないもののために"だった。帰ってから調べて、あ、多分これだって思って。なんてきれいな曲なんだろうって思って」
コイソさんは、「楕円の夢」MVにも参加してもらっている、長身でひょろっとしたおじさんさん。中性的でやわらかな動きがひときわ目を引くソケリッサメンバーだ。ワークショップでワタナベさんは、コイソさんとペアになったという。
「今までは自分が見られたい自分っていうのしかあんまり考えたことなかったのに、コイソさんとたまたまペアになって踊るときに、お互いの動きを見ながら踊るっていうのをやったんです。見られたい自分じゃなくて動きたい自分を考えるっていうのが初めての体験だったんですけど。うわぁって思って。で、その"たよりないもののために"の歌詞の中に、演じることがすべてなんてそんないらないって。「いらない」ってハッキリ言ってくれたのが、もうほんっとにそうだよな!って思って(笑)。たしかにたしかに!って、なんかスーって、スッキリしたんですよね」
人は誰でも、多かれ少なかれ、場所や相手に応じて適切に自分を「演じる」側面はある。それでも、それが本人にとって比較的自然にできているか、違和感や苦痛とともに「演じている」ことを意識して生きなければいけないかでは大きな違いがある。そういう人にとっては、「人生なんて演じるもの」という言葉は、いかにも「真実」のような重みをもって背中にのしかかってしまうのだ。それを「いらない」という歌詞に「スッキリ」したワタナベさんもまた、演じることに疲れている人だった。uchiakeのイメージのきっかけをもらった汽水空港の森さんのワークショップなどにも足を運んでいたという。色々つながって「これはもうuchiakeに行くしかないんじゃないかって、よくわからないものが働いた」という。

「今日話したい話は、演じることがすべてって言うのが、私やっぱり問題だとすごく思うんです。私精神科の病院でソーシャルワーカーやってる時期もあって、福祉関係の仕事してて、そこで働いていると息苦しくなって辞めるって言うのを繰り返して、今自営で、11月まではとりあえず自営でやってるんですけど。なんかその精神科の病院って、演じてる。看護師の役を演じてる人、医者の役を演じてる人、でも患者の役を演じてる人は、なんか演じてるっていうよりも演じさせられてるって感じが私はしてて。で、臨床心理士を演じてる、で、それぞれみんな役を演じてて。本当に病気ってあるのかな?って思ったんですよね。なんか、やっぱり私はそこがすごく腹が立って、そのことについて話題にする場がやっぱり好きっていうか必要だなと」
思い出したのは、坂口恭平の『徘徊タクシー』という小説だ。認知症のおばあちゃんを認知症として規定して描くのではなく、記憶と現実世界をまたぐ存在としてとらえ直したような物語だ。認知症を健全な状態ではないマイナスと捉えるのではなく、その人そのものと捉えて対話をすることで導かれる世界がある。病院にいけば認知症は患者として扱われる、医師は医師として質問し、問題行動などが多ければ薬を出すこともあるのかもしれない。しかし、それは本当に「まとも」なことなのか?その人に向き合っているということなのか?という強烈な疑問をワタナベさんの問いから感じる。私は、以前本で読んだ、訪問看護師と病院の看護師との違いについても思い出していた。病院の中での看護というのは、色々な規則に縛られてしまい、自由度が低い。けれど、訪問看護の場合は、患者さんと一対一になるので、最後にたばこが吸いたいと言われればこっそりOKも出せる。実は患者さんと密に向き合え、家族とも連携が増えるので、やりがいがあるという。その話をすると、ワタナベさんは、少し違う角度で話をしてくれた。
「集団の中で、やっぱりその個を大事にしようとすると、クビを覚悟でとか、いろんなものを背負わなきゃいけないと思うんですよね。ただ、病院の外に出てフリー(?)みたいな仕事であっても、やっぱり規則に縛られてる人はいるし。もちろん自由度が高くてやれる、っていうのがメリットで動けるっていうのを、信念を持ってる人ならいいけど、おおもとの母体があって動いてると、なかなかそこの、実際には見られてないのに、操作されてる、管理されてるって言うのは変わらない場合もあるから、ほんとに人によるっていうのがあるなと...。しかもそれも組織を離れたとしても、他の世間の目が気になってできないっていうことが起こると思うので、なんかいろんな単位で、人からどう見られているかって言うのを、より精査しないと、やっぱりすぐ飲み込まれて、見られたい自分の方に行ってしまうなっていう危険性は感じます」
だんだんわかってきたのは、ワタナベさんのこの問題意識は、周りを気にしてしまうご自身に端を発しているようだということだった。
「今回のuchiakeの予約の日も10時に開始だったので、絶対忘れると思って予約送信にしたんです。でも10時に予約送信すると、なんかガツガツしてるって思われるかなと思って(笑)。10時6分に設定して(笑)。ちょっと迷っていれましたって言うのは何分だろうって(笑)。初めてくる場所だし、そういう、なんか、見られたいっていうか。常に私そうなんです、ちんけな人間で。ほんとにいろんな風に見られたくて、賢そうに見られたいとかいっぱいあるんですよ、沢山。それをひとつひとつ排除していけたら楽だなあって思うんですが」
「ちんけ」という言葉を使われたが、少し意外な気がした。ここまでの話からは、専門職をふくめての転職を繰り返し、ソケリッサや汽水空港のワークショップに参加したりと、意志を持って自由に生きている人のように見えたからだ。プライベートでは15年の結婚生活を経てようやく離婚したという。
「もうちょっと早く離婚したかったんですけど、やっぱり無理だったというか。世間体もあるし、義理の父母も悪い人じゃなかったし、そこに縛られました。嫌いじゃないけど好きじゃない、価値観が合わないって言うのを言えなかったんですよ。ずっと優しくしてくれたし料理も美味しかった(笑)」
嫌いじゃないけど好きじゃない。意外とそんな感情で一緒にいる夫婦もいるのかな、と思った。ママ友は数えるほどしかいないが、その一人も「夫はATM」といってはばからなかった。女性に経済力がなければ離婚のハードルは上がる。近年離婚率が増えているのは、経済的に自立する女性が昔より増えたことは明らかだろう。そうはいっても、子どもがいると教育費の高いこの国で、やはり離婚のハードルは高い。「ATM」発言の裏には、家族を維持するために「好きじゃない」人とそれでも一緒にいる事情が透けて見える。ワタナベさんがなかなか離婚を決意できなかったように「嫌いじゃない」という情が残っていればそれでいい、と割り切って考える人も多いのかもしれない。けれどワタナベさんはやはり振り切った。
ちょっといいですか、と演歌の青年ハシモトさんが口をひらいた。
「自分がさっき言った歌のことにすごい近い話だなあって思いました、聞いてて。こう見られたいって、自分もその気持ちがすごくわかって。なんか不安な気持ちが付きまとってる感じなのかなぁって思いました。ちょっと不安があって、心理学用語みたいなので、自分軸とか他人軸っていうのがあるらしくて。自分の場合、昔、他人軸って言うやつで、今はわかんないんですけど。他人軸って言うと、人の言動とかにすごい寄せちゃったりして、自分がもやもやするっていう。ただ、社会的には均一になっていく、その輪はできるけど、個人としては違和感が残ったり好きなように生きられないっていう人もいたりして。自分の場合もその他人軸だった時期があって、それがすごくこう嫌でモヤモヤしたり、当たり散らしたりしてたので、なんかすごい近いものを感じるなぁって思いました。」
ハシモトさんが「自分軸」に寄っていけたのは漫画家の田房永子さんの作品『母がしんどい』に触れたことがきっかけだという。
「毒親を題材に書いてたりしていて。その田房さんは一応親と離れた後、彼氏さんとかと付き合っても、付き合った彼氏さんがすごい罵ってくるようなパワハラ・モラハラ魔で。その人と別れた後付き合った彼氏が良い人で結婚までいったんですけど、その結婚後、ちょっとしたことで彼氏さんにキレちゃうようになっちゃうんですね。日常生活生きてく中で、ちょっとこう反応が薄かったりしたら自分は嫌われてる、みたいに感じちゃって。被害妄想って言えばそれまでなんですけど。「ごみ捨ててないよ」って言われただけで、「ごみを捨てないお前はダメだ」みたいな、っていうふうに受け取っちゃって。で、それがモヤモヤするっていう。その内容を、不安だからっていうのを、お母さんに伝えられたんですよね。こういう意味があって、こういうことをしたんだって。この人はこれが嫌で、自分を大切にしようと思ったんだ、っていうのを、うちの母に理論的に伝えられたっていうか。他の物事の理論的なことだったんですけど、それを自分の中身にもちょっと投影できたっていうか。その手順を踏んで、自分の思いをちょっとずつ話せるようになったっていうか。今でも不安になっちゃうんですけど。でもだいぶ、切り替えられたかなぁみたいな。だからちょっとすごい近い感じがして」
「高校生とすごい話ができてうれしいです、ありがとうございます。なるほどと思いました」と、ワタナベさん。
自分にまとわりつく不安には色んなものがあるだろう。おかしい人と思われないか、嫌われないか、馬鹿にされないか。そういう不安があるうちは、何かを過剰に守ろうとしたり、人の行為や言葉に必要以上の意味を深読みしてしまったりするのかもしれない。それはハシモトさんの言うように「他人軸」で生きてしまっているということなのかもしれないし、そうした不安の根っこをみつめて意味をほぐせていったときに、はじめて「自分軸」に近づいていけるのかもしれない。

8人目 満員電車への疑問を禁じ得ないサラリーマン ラスカルさん 

「自分は真逆で、人に、人からどう見られてるかあんまり気にしないっていうか。どっちかっていうと全然好き勝手やってきて。自分もあんま話下手っていうか(笑)。話をするのは好きなんですけど、ぼんやりと話したり。若い頃まぁちょっと、辛いことが。で、30代の10年間はもうほんとに社会と繋がって生きるのをやめて、ひたすら内に籠ってっていう。音楽は好きだったんで、一応聴いてて、それも惰性で聴いてた。で、とあるきっかけで、まぁ寺尾さんを紹介してもらったチャッツワースさんって加古川にある紅茶屋さんなんですけど、そこの店主の方に「音楽がつまんなくて」みたいな話をしたら、「対面で音楽を聴くっていう環境で一回聴いてみたら」って。で、寺尾さんを勧められて。たしか名古屋だったかな?一番最初。で、その雰囲気に惹かれて。それから何回もライブ見に行くようになって、日々の生活の中で歌作っているって言うのが目に見えたっていうのが、結構面白くて。それですごくライブにはまるようになって、で徐々に自分の心も人と話すっていうこと自体が楽しくなってきたりとかして。今40代、今年50なんですけど、40代それで結構楽しく過ごせたっていう感じがあって。最近悩みっていう悩みがなくて(笑)」
いきなり歌い手冥利につきる告白だったが、ラスカルさんは、随分長いこと全国あちこちの会場に地元のお菓子を持って駆けつけて下さるお客さんだ。出演者だけでなく、会場の人にまでお菓子を持ってきてくれる気配りの人だ。ラスカルさんの若いころの「辛いこと」についても、2015年に「楕円の夢ツアー」のソケリッサ帯同のためのクラウドファンディングのリターンの曲作りの時に少し伺っていて、それを踏まえた一曲を作ったことがある。その後、さらに詳しいことをお手紙で頂いて伺って、沁みるように読んだ覚えがある。ひょうひょうとした語り口の一方で、繊細な感受性のある人だ。
「独り身だし縛られるもんもなくて。人との関わり方ももしかすると、ここ超えると、めんどくさくなるってところで引いてるっていうか。若いところの経験でそういうことを意識的にやっているから、ほどよいところで止まってる。あんまり深い関係にはならなくて、お友達くらいのレベルでずっとみんなと付き合ってるから結構楽しいのかなって。
もやもやしてることの一つに、電車通勤してる時に、あのなんだろ。人がいて、人を押すって行為がなんかめちゃめちゃ嫌で。よく考えるとそれがすごく嫌になってきて、電車の時、人を押すっていうのが、人を人として見てない行為だなと。自分も後ろから押されると、ベルトコンベアーにじゃがいもごろんごろんって、ぼこんぼこんってぶつかってるようなイメージがすごいして。え?みんなこれ人間だよね?っていうふうに思いながら、その押される瞬間いっつもそこはなんかずっとモヤモヤしながら生活してて。それがなんだろな、社会のいろんなところに埋め込まれてる感じがしてて。社会に出てるときは、人間性の一部殺して生きていくのが普通なんだよ、っていう暗示をいろんなところでかけられてるような感じして、それがたまらなく嫌になって」
重要な指摘だなと思う。そして、ラスカルさんの言う通り日常に「埋め込まれてる」 ことに対して、このように嫌悪感を持ち続けられるということも稀有なことのように思える。習慣や惰性の中で人は何かを感じる心を鈍らせていくからだ。私も、たまに通勤電車に乗る事があると、どうしてもアウシュビッツへ送られる汽車とか、戦後外地から帰った引揚者がつめこまれて、糞尿も垂れ流すしかなかったというぎゅうぎゅうの列車を想像してしまう。感じることを一時的に麻痺させなければ、苦痛が大きくなる。
「昨日会社の上司の送別会だったんですけど、そういうことを若者に話したら、めっちゃ爆笑してて。えー!?みたいな(笑)。俺真面目に話してんのにって(笑)。「思わない?」とか言ったら、「いや、考えすぎなんじゃないですか?」とか。どうなんだろうなって。まぁ酔っぱらってたからかもしれないですけど。真面目に話してたらちゃんと...。皆さん何かそういう、こういうのなんか人間性損なうので嫌だとかっていうシーンとかってあります?っていうのを皆さんに聞きたいな」

タジリさんが口を開いた。
「僕は東京の大学に通っていたんだけど、就職活動で山手線通に乗っていたら『うわ、キモっ』って思ってしまった。それまで避けていた満員電車に『これがずっと続くのか』とゾッとした。進んでいる面接もあったけど、何も言わずに辞退。で、地元の富山に戻ったんですよね」
地方で暮らす人たちからはよく聞く意見だ。東京で生まれた私にとっても、通勤電車は避けるべきものであることには変わりなかった。大学も、その他の志望理由もあったけれど、田舎方面に向かう電車に乗れることは大きな魅力だった。ラスカルさんの言う「非人間性」はとてもよくわかる。マエダさんが別の角度から切り込む。
「取材で漁港とかも行くんですけど、食べ物を作ってる現場のことを考えると、結構受け止められないくらい苦しいことが沢山あって。魚もみんなが知ってる知名度のある魚しか売れないから捨てる魚が結構ある。売れない魚は値段が付かない。獲りすぎて、魚の資源量落ちてるんですけど、でもすっごいたくさん獲って、ちょっとしか売れないみたいな。すごく無駄が多いし、それは漁港の人もわかってないし、誰も、どれだけロスがあるかもわかってない。畑の農産物もちょっと見た目が悪いと売れないから、捨てる。畑にすきこむので、土の栄養にはなるのかもしれないんだけど。日本人の変な美意識というか、これがOKっていう範囲が狭すぎて、作ってる人にはすごい負担になってて。でもなんかそういう、これがOKの範囲が狭いっていうことは、野菜とか魚を見る目がそうっていうのは、同じように人を見る目っていうのもそう、自分たちに跳ね返ってきてるとこは絶対あって。許容範囲が狭いから、逆にすごい多様性とか、インクルーシブ包括とか、言わなきゃいけないのかなと」
日本人の農産物の見た目重視の傾向は確実にあるのだろう。加えて、一度打ち立てた規則をなかなか変えられない傾向も強いと思う。本当は、見た目が悪くても少し安い方がいいという人はたくさんいるだろうに、いったん商品基準を打ち立ててしまうと、それをもとにしか動けなくなってしまう。個人で通販などをはじめている農家さんも増えていて、そういうところで無駄な廃棄をなくすことを呼びかけ、売り上げに繋げている人もいる。マスのシステムをかいくぐった個々の動きに、いつでも変革のヒントや突破口が隠されているのだとも思う。
 もう一つ思うのは、見た目重視はある種の美意識であると同時に、対象の管理のしやすさをのための均質さを求める側面もあるだろうということだ。ピーマン一個のグラム数をおよそ〇グラムと均一化してあれば、「一袋につめるのは5つ」と同一にできる。教育現場で、理不尽な校則がいつまでも残っているのも、結局みな均質な生徒であることを求められるという根っこが変わらないためだ。生徒がみなが同じようであれば管理が楽なのは教師であり学校だ。校則はルールだ、ルールを守れない奴はろくな社会人になれないぞという脅しで、生徒の反論を防ぐことができるのだ。生徒にも頭を使わせない、自分も頭を使わない。次女が去年から縁あって進んだ中学には「哲学」の授業があるが、校則らしい校則がない。逆に言えば、生徒の独自性を封じてしまう校則のある学校で「哲学」の授業は成立しえないだろうと思う。ラスカルさんが通勤電車に代表される非人間性が「社会のいろんなところに埋め込まれてる感じ」という指摘は鋭いものだ。私たちは袋詰めされるピーマンやジャガイモのように「均質であれ」「はみだすな」という教育を受けてきたのだといえる。その根強い思考が残されたまま、「多様性」「インクルーシブ」を持ち出しても、表面だけのことになる。つい先日の卒業式でも、外国籍のルーツを持つ生徒が細かく編み込んだ髪型をしてきて、別室に隔離されるという事態が起きてニュースになっていた。卒業生の卒業を祝うための式ではないのか?と首をかしげたくなる。
 参加者の発言から未来の話が広がっていく。
「なんか昔って、自分の子供の頃って、ロボットが全部仕事してくれて、僕たちはもっと楽しく暮らせるっていうかバラ色人生みたいなそういうのあった。気が付いたら、仕事取られるわ!機械に仕事取られるわ!みたいな。いつからこんな発想になったんだっけっていうのは常々思ってて。なにがどこでどう気持ちが変わったんだって。明日ここ機械が入って、私仕事取られて仕事辞めなきゃって、え?そんな仕事したかったんだって(笑)。社会との繋がりを求めたうえでの仕事って全然あると思うんですよ。ただ、なんだろな。機械に仕事取られてっていう言い方になってくると、なんかちょっと違うのかなって。本来だったらそれをちゃんと、機械に置き換えた分は、僕たちの生活の一部っていうか、そこがゆとりになるような形の仕組みをちゃんとつくってもらって、っていう形になるはずなのに、いつからそんな暗い話になっちゃったんだろうなみたいな。機械が万能とかっていうわけじゃないですけど。それでちょっともやもやしたりとか...」
なるほど、と思う。機械化で明るい未来もあるはずだと。みなに平等にその恩恵が回ればもちろんそれほど素晴らしいことはない。しかし、現状でさえ非正規労働という不平等な労働環境が温存されている中で、いきなりそのような恩恵が降ってくるとも思えない。機械化によって仕事を追われる、と感じる人は多いだろう。それが契機となって、都会を離れての生活に目が向き、運よく活路が開ければよいのだろうけれど......。


タジリさんが言葉をつぐ。
「未来の社会を眩しく描いた子ども向けの本って、最近見かけなくないですか? 僕が子どもの時ってよくあったと思うんだけど。宇宙食みたいなご飯を食べたり、車が空を飛んでいたり。あと、料理も洗濯も人間がする必要なかったり。最近の絵本コーナーとか覗いていても、そんな光景を描いた本が見当たらない。光り輝く未来が絵本の中にすら登場しない」「たしかに首都高とか見ると、もう車飛んでますもんね。ちっちゃい頃に見てたその絵本がもう東京にあったと思って(笑)。田舎出身だから、東京に行った時もうびっくりして」とワタナベさん。 そういう意味では、60年代~80年代のような「夢」は国に勢いあってのものだったのかもしれない。今の若い世代はおろか、私たち40代からして、氷河期世代であり、非正規労働の中で夢を生きるどころではなかった人も多い。
私たちなりの夢の見方。それは、みんなが未来都市を夢見た時代とは違って、もっと個人的で、この国の多数派の生き方、「あたりまえ」の価値観から抜け出すことで実現させるものとなっているのかもしれない。ラスカルさんのように違和感を吐き出し共有することもまた、「あたりまえ」を疑う大事な行為だ。
「それを言ってかなきゃいけないんじゃないかなって思いますよね。なんかそれを当たり前のように受け止めて生活してると、さもそれが普通っていうか。議論の対象にもならないっていうか。普通じゃないよねって伝えていかなきゃいけないのかなって。昨日後輩が爆笑してたのもそれかなって。それが当たり前っていうか、え?何今更そんなこと言ってんの?みたいな」というラスカルさんに、演じなきゃやってられないという側面もあるのでは、とタジリさんが指摘する。

「ちょっと前にバズったツイートにこんなものがありました。会社の玄関に入る瞬間に『コント社会人』って小さくつぶやいてから入るっていう。会社って大なり小なり大変なことが溢れている。だからコントを演じるというわけ。そういう気持ちはものすごくわかる。嫌な仕事をやるときは、括弧で自分を括らないとちょっとやっていられない。これは本来の『私』じゃなくて、役柄としての『私』だと思いたい。仕事だからってやるにはやるんだけど、心のどこかで『いやいやいや、それ間違ってるよ』って抵抗している」

タジリさんはつらい業務が続いた時期に、「こういう仕事なので」と無意識に「括弧でくるむ」ことをしていたという。
「例えば明らかに、自分の信条としては違うことでも、指示を受けてやらないといけないことがある。世の中からも必要とされているかもしれない。でも、個人としてはやりたくない。自分が指示に従うことで、不愉快な思いをする人もいる。そういう仕事はしたくないなぁって思いつつ、仕方なくやることってあるでしょう。僕は新聞社に勤めているけど、大きい事件事故があったら、その遺族のお宅に行って『お話を聞かせてください』とお願いすることもありました。まあ、いやですよ。遺族の方の気持ちなんて聞かなくても分かる。そっとしてあげたい。でも、『コメントをもらえ』と指示は来る。他社さんも来ている。かつて以上にそういう取材行為に批判がある一方で、意味がないとは言い切れない。だって、メディアにお話されたい方もいるかもしれないし、直接尋ねるからこそ分かることもある。そういった情報を無意識的に求めている読者もいる。記事に触れ、『そんな酷いことがあったのか。こんな事件事故は無くさなければ』と思う人がいるかもしれない。もしそうだったら、世の中を少しはマシにしているわけですよ。『なんで、悲しい思いをしている遺族の家に押しかけるの』という批判はとてもよく分かる。でも、遺族の思いを知って『この人の力になりたい』と思う人もいる。で、さらに上司からの圧力もある。拒む理由も、やるべき理由もある。命令はあるが、それが正しいかどうかはわからない。どうすりゃいいんだって打ちひしがれる状況に立ったら、『コント社会人』って呟くほかない」
批判もあれば、求める意見があるのも事実。それに応えるのが自分の任務。 多くの仕事でこのジレンマは見られるのだと思う。「『コント社会人』をやるしかない」というタジリさんの言葉が軽いような重いような不思議な響きだと思った。

ふと、外国人への待遇に批判が集まる入管の職員のことを思い出した。入管に監視される外国人たちの支援者側からみたら、人でなしのように思えるあの人たちは何を感じて仕事をしているのだろうか。

●明日が来るのが怖くてしかたがない タケノウチさん
「すいませんなんか、全然私はあまり悩み事があるんだけど、それを悩みと言っている自分が本当に、人様に顔向けできないような感じなんで、今日は皆さんのお話を聞いて、あぁこんな感じなんやなぁ人間って、って感じで。なんか皆、話聞いてるとめっちゃ優しいし、なんかすごい全部のことを真面目に捉えるし、すごい人間としてできてる人たちばっかりなんだなぁって思って。なんだろ、私全部が全部さっきの話に通じると思うんですけど、逃げてるんですね。未来の話、さっき皆さん言ってらっしゃいましたけど、見えないからわかんない、怖い。ずっと無駄な恐怖感にずっとさいなまれ続け、みたいな感じなんで。どうやって人生を生きていけばいいんだろうみたいな感じになりながらですね。さっきみたいに、問題に真面目に取り組むことも、自分の中ではしてるし、社会的にはすごくなんかしっかりしてるよねとか、ちゃんと仕事してるよねみたいな感じとかに言われてるけど、自分の中ではそれは逃げの一種であったり。さっきの社会的にはこうした方が正解だ、みたいな感じのやつとかも、自分の中では違うと思ってるけど、逃げの一種だったからこっちの方に行こ!みたいな感じになっちゃうから。どうしたもんかなって思いながら、けどそれも自分が苦手で許せないというか。けど、そうやって...未来が見えないので、明るくないのかなぁ?このままなのかなぁ自分は~みたいな感じで、ずーっと生きてきたものがあるんだけど、答えがでないままずっといるし、でも今日みんなの話を聞いて、すごいなぁ、だめなのかなぁこれじゃあって思ったんですけど。5年前に、ここで多分マヒトゥーさんと寺尾さんがやっておられたやつで、その時私失礼ながらお二人のこと全然存じ上げなくて、友人が誘ってくださったんですけど、その時にお二人の歌を、ほんとこんな近い距離で聴いてたら、あぁ~二人ともすごいまっすぐな目をしてって(笑)。なんていうんですか、のらりくらりとすべての物事を往々してきたから。マヒトゥーさんも、なんでか知らんけどしゃべる機会があったんですよ。その時に一言だけですべて、おまえのことをわかるぞぉって感じになるから、私はどうして生きていけばいいのだろうみたいな感じになる(笑)。こうやってる自分が嫌だけど、どうすればいいのかわからず。けど、今日リクエストさせてもらった"光のたましい"っていう曲が、みんな孤独だよみたいな、最終的にはみたいな。みんな、生きて、探してるよみたいな。ほんとかよー?とか勝手にちょっと思うところがあるんですけど、ほんとだわーってなって今日話聞いて。私の中ではその曲がとても大事な曲だから、お守りの一つ、さっきのしんどい時に聞くプレイリストみたいな感じの中の、お守りの一曲として居るんですけど。本当に、今までの話を聞いてわかるように、堂々巡りなんですよね。みんなの中では、他の方たちから聞いてたら、そりゃあ真面目に生きるしかなくねぇ?みたいな話かもしれないんですけど・・・できるのかしら?みたいな。最終的にその不安に、世界のすべての不安の中に自分の不安も入ってるから、不安がずっと膜を覆い続けるみたいな。大丈夫かもしれない、あ、けどまだ不安があるわ!大丈夫じゃない大丈夫じゃない!みたいな。だけど、さっきの皆さんの話を聞いとったら、大丈夫だったんだー、大丈夫だったかもしれない!って気配を感じてきたんだけども、私はその膜をどうやったら破れるんだろうかぁみたいな。」
タケノウチさんの悩みの核心がなかなか見えなかったが、その悩みの深さはよく伝わってくる。仮にアーティストがまっすぐな目をしていたとして、それを見て、自分はまっすぐに生きられていないと感じてしまうというのはどういうことなのだろうか。
「生きるのが怖い。明日・・・生きるのが怖いんじゃなくて、明日が来るんだと思うと、つらいわけじゃないんだけど、明日はどうしようみたいな感じになっちゃう。なんかこんなこと考えてるのあほじゃね?みたいな感じのことをみんなに言われるんだけど、やっぱり私あほなんかな?とか。行き場のない不安があるから、みんなあほやって思われることが多いんですけど、どうしようみたいな。困ってるようで困ってない、けど、私の中ではなんか、不安の膜がいっぱいあるねんみたいな感じで。永遠に、どこに、行くんでしょう私は。私は広いとこまで出てきてるんでしょうか、それとも、まだここの中の不安の中なのでしょうか、って感じがちょっと続いてるから、皆さんみたいに答えを出せない、みたいな」
どうやら、不安の核自体がぼんやりとした、しかし彼女にとっては日々切実な問題のようだった。
「周りから見たら堂々巡りだし、あほかよ、みたいな。なんでそんなことで悩んでんの?みたいな感じになるんだけど、私の中ではでっかい悩みなのかもわかんないし、小さい中身なのかもわかんないし、私はここにいるのかもしれないし、もっと地下の方にいるのかもしれないし、みたいな感じで。楽しいこともあって、楽しいなって思うんだけど、で、最終的に、寝る瞬間には明日が来てしまう...みたいな感じで」
そこに戻ってくるのか、と一同笑いが起きる。寝るときにそこまで不安になってしまう人がいるということは多くの人にとって、驚きであり、その驚きゆえの笑いだった。
「だから言ったじゃないですか(笑)。あほみたいなって(笑)。そんな感じなんですよ。別になんだろ、明日が来てほしいわけじゃないから、寝るときに明日も頑張って生きようとか、体明日も頑張ろうね、みたいな感じで寝るんです。起きようねぇ、みたいな。明日も生きてたいねぇ、みたいな感じで話してて、あほ、あほ、ほんまにあほなんですよ(笑)。」
「それは小さい時?いつから?ずーっとですか?」 とマエダさん。
「結構小さい頃からですかね。ほんとに漠然とした不安っていうか、どうしようって。毎日思っとるわけじゃないんですよ?でもなにかどこか心の端っことかに、なんか...どうしよう、みたいな。どうしようじゃないんですよね。なんか名付けようがない何かがあって、どうしよう...どうしようって言葉が出てきちゃうんです結局。私の中ではなんだろ、次会えないかもしれないずっと。すべての物・人に思うわけです。で、そういう風に普通に考えないから、みたいなこと言われると、普通は考えないんだったら私はどうやってここから・・・あ、すごい、夕焼け小焼けになっちゃった(笑)。」
タケノウチさんの早口で笑いを交えた語り口に侵入してきた「夕焼け小焼け」に再び笑いが起きる。
「どうしようっていうのが堂々巡りで結局答えは出ないんですよ。で、皆さんも「そんなこと考えないよ」となると、ここでどうしようにもう一回戻ってくるんですよ。」
私が心に残ったのは「次会えないかもしれないずっと。すべての物・人に思うわけです」というフレーズだった。例えば自分の母親が死んじゃうかも、自分も死んじゃうかもというような不安なのだろうか。
「それも、あります。が、それが別に悲しいから寝たくないとか生きていたくないとかじゃなくて、そうなった時にどう対処しようってことずっと頭の中で、全ての物事を考えちゃうって感じ。」
「あぁ、頭いいんですよ。だから先のこと考えてしまうんですよ。心にここにあらずって感じ」
「あー、ずっと俯瞰してる感じです。なんだろ、自分のことなんだけど、自分のことじゃないみたいな感じ。」
俯瞰というのは一つのキーワードなのかもしれなかった。多くの人は自分が明日死ぬとは思っていない。愛する人が明日死ぬとも思っていない。しかし、神の視点でみたとき、世の中には車の事故があり、飛行機事故があり、通り魔がおり、心臓発作で突然逝く人もいる。人はいつ死んでもおかしくない存在であり、むしろ「明日死ぬわけがない」という思い込みの方が傲慢なのだが、多くの人は明日が来ることを疑わない。タケノウチさんは神のような俯瞰の視点を与えられてしまったがゆえに、のんびりと生きることが困難になっているのだ。そのとき、演歌の高校生ハシモトさんが田房永子さんの本に再び言及した。
「それには"今ここにいる"っていうのをやるっていうふうに書いてあって。例えば今だと、自分の場合だと、扇風機が見えますとか、これが見えるとか、畳が見えるとかっていうのを、やっていく。それだけに集中してやってみる。そうすると、少なくともその場だけは、今ここに意識を向けて、その未来のこととか考えなくて済む。あと、もやもやしたら、そのもやもやしたっていうことを...自分みたいのが言っていいのかわからないんですけど、受け入れるっていうのが一番大事なんじゃないかなぁっていうふうに思いました。無理に振りかざせることなくいけたらいいなあって。自分結構振りかざしちゃうタイプなんで」
ハシモトさんの年齢不相応な的確なアドバイスに一同舌を巻き、感嘆の笑いが起きる。
「とんでもない包容力(笑)」
「カウンセラーとか」
「バーとかカフェとかやった方がいいよ(笑)」
そこに ホリエさんが不安について言及する。
「僕その不安に先走った不安って名前つけてるんです。不安に対して先へ先へ考えようとしてしまうっていうか。勝手に物語を生み出してしまってるだけなんやと思うんですよ。だから僕そういう時は、根拠があるかどうか、実際にそこに存在してるかどうかっていうのを一回考えてみて、なければ、置いとくっていう。で、根拠なりなんなり実態のある不安であれば、解決するためにはどうしたらいいかって考えてます。考えるようにしたいなって思ってます。練習中です。」
これは確かに、多くの人が経験があるのではないだろうか。メールやラインの返信が遅いとき、不安になったことがある人は多いはずだし、デジタル・ネイティブ世代はそれゆえに友人に迅速な返信をすべく、スマホを手放せない中毒のようになったりもしている。相手が不快になっていないか、自分のことを本当は嫌っていないか。あるのはメールの返信がまだ、という事実だけなのだが、不安は先走りしやすい。ハシモトさんの紹介してくれた「見えるものを数える」やり方のように、「起きている事実」だけを認識しなおすことも、心を平静に保つ一つのメソッドかもしれない。
タケノウチさんの不安が周りと違うことについて、マエダさんが思いやる。
「人に話すことでそうやって違うと言われるから、きっとそこが孤独を深められてるのかなって思うんだけど。そういう仲間もいるはずだというか。出会えるんじゃないんですか?きっと、ついつい考えてしまうっていう人もいるはずだし」
「そんな大したことないってよく周りの人が言うっていう話なんですけど。自分が辛かったら辛いでいいんじゃないかなぁって思いました。自分が辛いなら辛いってことを受け入れてあげる、心のままに。心のままっていうか、好きなように生きれると思うし。社会的におかしくても嫌なら嫌やし、社会的に矛盾でもだめなもんはだめやしって、自分の中でポリシーがあったら強いんじゃないかなぁって今話聞いてて思いました。」
最後はやっぱりハシモトさんがなかなかいいまとめをくれた。多分、つらさを乗り切る知恵は、タケノウチさん自身が身につけてきたのだと思う。「明日も頑張って生きようとか、体明日も頑張ろうね、みたいな感じで寝るんです。起きようねぇ、みたいな。明日も生きてたいねぇ、みたいな感じで」と自分自身に語りかける、という言葉からもそれはうかがえる。それはほかの人にとっては変わっていることでも、タケノウチさんには必要なことであり、普通のことであり、立派な知恵なのだと思う。それを信頼する人以外には言わなくてもいいかもしれないし、信頼する人から予想外の反応をもらっても、これが私なんだ、と前を向けるような核ができたとき、ハシモトさんのいう「ポリシー」ができたということなのかもしれない。それは、たぶん自分のことを自信をもって愛してあげるということでもあって、タケノウチさんばかりでなく、多くの人が求めてやまない、人間にとって大切な人生のテーマの一つなのだと思う。

●久々に大人の集まる場に出てこられたお母さん アライさん
「久しぶりにこういう大人の人たちの集まる会に参加させてもらって、皆さんの話聞けただけでも、すごい嬉しいんですけど。なんか、ここに呼ばれて良かったなって思いました。この子と、今5か月で、上の子が2歳なんですけど、ちょっとしばらくは子供のことが中心の生活で、なかなかゆっくり音楽聴く時間もないし。あんまり大人の悩みみたいなものはないんですけど、今日歌ってもらった歌を家に帰って待ってる子に聞かせてあげたいなと」
アライさんの腕には5か月の赤ちゃんが眠っていた。
「ひとつお礼っていうか、赤ちゃんを見る機会が今ほんとにないので、ほんとにありがとうございます。」とワタナベさん。
「来ること良いよって受け入れてもらったのでみなさんのおかげで、今日来れたので。来たいなと思ってたけど、だいたい子供はご遠慮しますっていうので。なかなか出かけることもできなくて。でもなんかこういう会に参加できたのはちょっと貴重だったなって。」
「子どもはご遠慮します」。お店でもコンサートでも多い。先日島根のホールでわらべうたライブを行ったが、アンケートに「子供の年齢制限をあげるべき」という意見も見られた。ライブの始まるときに、「お子さんも多いですけども、お母さんも気が気でないと思います。いろんな声もBGMとしてあたたかい目で見守ってもらえたら」と投げかけたのだが、それでもやはりこういう意見も出る。私も昔は、静かな曲が多い自分のライブは子供の多い場では向かない、と誘われた子供向けイベントを断ったこともあった。しかし、お客さんが子供を連れてくることはOKにしていたところ、素晴らしいタイミングで泣いてくれたり、声をぽつんと放ってくれたり、笑ってくれたり、それが曲の歌詞と相まって素晴らしい瞬間を生み出してくれることが一度でなく何度もあった。そういう経験をしてから、音楽を聴くときに完全なる静寂は必ずしもいらないのではないか?という気持ちが強くなった。私たちの社会は、小さい人から年寄りまで雑多な人々で成りたっている。そういう人たちがそれぞれに音楽を感じ合う場はやっぱり必要だ。ライブというのは、共に聞く人を感じ合う場でもあるから、これは子どもをどう眺めるかという問題にもつながってくる。静寂をかきみだす邪魔者としかみなせないか、命の塊が思いのままにふるまうその姿に何かを感じ取るのか。さきの均質化の話ともつながるが、異なる他者を許容できるのかが、今社会のあちこちで問われているのだと思う。
アライさんの腕の中ですやすやと眠る赤ちゃんを見ながら、あらためてそう思った。