SAHO TERAO / 寺尾紗穂

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Uchiakeの記 vol.6 射水篇その2

Uchiakeの記 vol.6 射水篇その2

1人目  BTSロスから抜けきれない新聞記者 タジリさん
2人目 歌いたい男性 ホリエさん
3人目 自分でも「語りの集い」をやりたいフリーライター マエダさん
4人目 演歌歌手になりたい高校生 ハシモトさん
5人目 「楕円の夢」を聴けなくなった作家 アイダさん
6人目 今年お母さんを見送った写真家 タケダさん
7人目 役割を「演じる」ことに疑問を感じるソーシャルワーカー ワタナベさん
8人目 満員電車への疑問を禁じ得ないサラリーマン ラスカルさん 
9人目 明日が来るのが怖くてしかたがない タケノウチさん
10人目 久々に大人の集まる場に出てこられたお母さん アライさん  

4人目 演歌歌手になりたい高校生 ハシモトさん

「ハシモトシドと言います。今高校三年生で、金沢から来ました。自分も歌うことが好きで、一応演歌歌手を目指してて、NHKのど自慢に今年でたりしたんですけど」
一同驚きの眼差しがハシモトさんに注がれる。
「残念ながら鐘二つだったんですが、その時のゲストが小林幸子さんで、もともとすっごい好きで、本人の前でデビュー曲を歌ったんです。まず幸子さんにお会い出来てよかったなっていうのと、でも鐘二つで悔しかったなあっていう日でした(笑)。今日来たのは寺尾さんのわらべうたのアルバムがすごく好きで、特に二枚目が好きで、富山に寺尾さんが来られるってことで、これは是非聞きたいなと思って申し込みました」
わらべうたのアルバムは、これまで二枚だしているが、オリジナルアルバムと比べると売り上げは若干落ちる。おそらくポップスのリスナーの中には「わらべうた」への偏見がある人もいるためだろう。そういう人にもいつか届いてほしいなという思いで、出し続けている。私のライフワークの一つになると思う。加えて、高校生リスナーというのは私のファンの中ではかなりマイノリティだ。30代~50代が主で、20代はたまに出会うくらい、10代となると非常に珍しい。まれに大学の音楽サークルでカバーしてくれていたり、学園祭に呼ばれたことも一度だけあるが、どちらかといえば地味な音楽だし、歌詞が表層の意味を越えて内側に響くかということも含めて、色々な経験値が少ない若い人には届きにくい音楽だと思っている。だから、二重にハシモトさんの登場には驚いた。
「自分はどうしても人から見た歌、ということを気にしちゃう時があって、それは歌だけじゃなくて、たとえばものを一つ選ぶにしろ、買うにしろ考えてしまって、自分の意見を蔑ろにしてるような。これほんとに欲しいのか、ほんとに買いたいのかっていうのが、見ないふりというか見えない状態で、それがすごく嫌で。歌も自分がこう思ったからこう伝えたいっていうのがあるからこそ、いい歌ができるんじゃないかと思ってて。物にしろ、これがいいからこれを買うって買ったものこそ愛着がわく気がして。そういう歌を、自分がこういうものを伝えたいんだっていう歌を歌えるようになりたいな、というのが自分のウチアケですかね。伝えたい思いが自分でわかって、自分の心とやりたいことが合致するっていうのができたらいいなと思います」
「爽やかなお話を聞かせてもらった気がしますが、今これが好きだってものがあるけどうまく出せないんですか?」
「この歌好きだって思っても、何で好きかっていうのが、好きは好きなんですけど、自分はこれをこう受け取って、こういう風に伝えたいっていうのが、自分の思いがたまにわからなくなる感じですかね。今ちょっと歌ってもいいですか?潮岬情話っていう香西かおりさんの曲を」
ハシモトさんが立ち上がり拍手が起こる。

沖へゆくのは 佐吉の舟よ
今朝は別れて いつまた逢える
いくら好きでも 添えない人を
なんでこうまで 好きになる
ハア―潮の岬に 灯台あれど
恋の闇路は 照らしゃせぬ

声量で聞かせるタイプというよりは、細やかなこぶしで聞かせるタイプだろうか。演歌の歌唱についてはよくわからないが、小回りのきく声のコントロールをしながら歌うのを、楽しそうに歌うハシモトさんがいた。私はまだ学生でもある彼が、「恋の闇路」を「今朝は別れて いつまた逢える」と歌っているのを不思議な気持ちで聞いた。
「あの、恋してますか?」
「あ、全く」とハシモトさんは答えた。
そうだろうなと思った。演歌は特に恋の中でも恨みつらみや切なさを歌うものが多いから、恋を知らない青年が、その情念を理解して歌えるようになるのはやはり少なくとも10年はかかるのではないかと思えた。聞けば共学だが、気になる異性はいない。今後については3月で卒業だが、接客業でもしながら演歌歌手を目指すという計画だという。
「寺尾さんの歌は伝えたいことがすごくこもっている気がするので好きです」
「ありがとうございます。いい恋をしてください(笑)、失恋なんかも含めてですね」
私が恋の問題でまとめようとすると、ハシモトさんは演歌には「夢をつかむ」といったテーマもあるのだ、と教えてくれた。
「そういう歌を、自分の思いを込めて歌うのがすごく好きなんですけど、そのときに歌詞の意味に自分なりにこう思ったっていうその思いを伝えられるようになりたいですね。それは恋だけじゃなくて、物を選んだり、生きて行く中でも」
オリジナルのメロディ、オリジナルの歌詞で勝負するシンガーソングライターと違って、演歌歌手は「歌手」である。自分の独自性を、歌唱そのもので表現するというのは、たしかに簡単なことではないのかもしれない。それでも、気になるものに対して、自分が感じていることは何なのか。どこに一番共鳴しているのか、それは世の中の常識や流行の影響をうけてはいないか、ということをきちんと見つめてみることは、自己に誠実に向き合うことでもあるだろう。ともすれば、好きだからという一言で済ませてしまう人もいるだろうことについて、深く向い合おうとしているハシモトさん。演歌を相棒として、一生をかけようとしている姿が清清しく、心から応援したくなった。

5人目 「楕円の夢」を聴けなくなった作家 アイダさん

5人目 「楕円の夢」を聴けなくなった作家 アイダさん 「フレッシュな話を聞いたあとで、すごい緊張するんですけど。「楕円の夢」をリクエストしました......。すみません、上手に話せる気がしなくて。もともと寺尾さんを知ったのは、ある飲食店の雰囲気も料理も全部好きで、かかってるBGMが自分のプレイリストかなってくらいマッチしているお店で、寺尾さんの曲だけその時知らなくてすごく耳に心地良かったので、店主に聞いて教えてもらったのがきっかけで好きになったんです。中でも「楕円の夢」が好きで、結局その店でアルバイトをしたんですけど、その店とか店主のテーマ曲みたいな感じで。自分の制作の時にも寺尾 さんの曲はすごく聞いてたんですけど、実は三月から一切聞けなくなってしまって。お店と色々問題があって、自分の精神状態が安定しないから、聞くと思い出してしまう。大好きだった曲を聴けなくなってしまって。で、寺尾さんが昨日ライブされるのも知っていたし、行きたいと思ったけど、迷っていて、そんな中でウチアケがあるのを知って、直観的に行きたいなと思って応募しました。予約がとれて嬉しかったんですけど、打ち明けることをどうしたらいいかわからないなと思いながら昨日まで過ごしていて、友人にどうしようって話したら、「話せるなら話したらいいし、行けるなら金沢行ったら?」って言われて、急遽昨日金沢のチケットもとって見に行ったんです。本当にすごい好きで、自分の心にすっと入ってきたり励まされたり、楕円の夢は特に今の自分の状況にすごく似ていて、どういう風に作られたのかはわからないですが、共感しすぎてちょっと苦しくて聞けなかったんです。でも今日聞いたらやっぱりすごく好きで、なんかとっても心が洗われました」 歌が呼び起こす記憶は生々しい。一緒に聞いた曲も、「誰か」との関係がこじれたり、別れを受け入れなければならない展開になれば、聞き返すのが辛い曲になってしまう、ということは想像できる。好きだった店でアルバイトをしたというアイダさんに「店長さん」 とこじれたのですか、と単刀直入に聞いた。
「すごく仲がよかったんですけど、結局、めちゃめちゃ変な話ですが、向こうに告白されて。どうしたらいいんだろうと思ってたら「好きだけど、結婚できないから付き合えません」ってその場で言われて。意味がよくわからなかったんですが、すごく尊敬してる方だったので、好きって感情はあるけど、その好きは私の中ではそのときしっかりとした恋愛感情にはなっていなくて。向こうは恋愛感情はあるけど付き合えないと言っている。そこからこじれていって。私もどうしたらいいかわからないし、向こうの要望にも応えきれない。そしたらバイトも辞めてほしいと言われたり。わたし、本業は作家業なんですけど、それだけだと社会とのつながりがほんとになくなってしまうので、人と会話したくて、飲食店のバイトを始めたんです。」「好きだけど、結婚できないから付き合えません」とは不思議な言葉だ。どうやら、彼の中で、結婚に対する強い拒否感があり、さらに「付き合う=結婚しなければならない」という強固な観念もあるように、感じられる。自分自身を強く律しようとするも、自分の中の感情がそれに悲鳴をあげているようなイメージだ。生きるのが辛そうだ。相手を求め、 拒絶されれば、さらに強く拒絶し、時に嫌がらせようなことにも及ぶ。そこにあるのは利他としての愛ではない。拒絶されて憎しみに代わる愛は、そもそも愛の顔をしたエゴや寂しさである。
「辞めるって選択肢がその時思い浮かばなくて、その店のことも大好きだし、人としてもすごく好きな方の店だったから、辞めたくない。関係性が受け取れないなら辞めてっていうのも不当だなって思ったし。そのあとバイトは続けることになったのですが、自分では結局気づけなかったんですけど、多分ずっとパワハラを受けてて。それもわからなくて、飲食店で仕事したことがなかったので、そういうものだと思って過ごしてきて。結局最後は、マンボウがあってお休みの時期も多かったんですけど、辞める辞めないの話もないまま、シフトの連絡がないので聞きに行ったら、他の女の子を雇ったから要りませんって言われて扉をしめられました。それを受け入れられなくて、自分の気持ちもどこにやっていいかわからないのと、言ってしまえば本業でもない仕事にこんなショックを受けているのも自分自身が情けなくなっちゃって。4月くらいに相談した違うお店の人から、「それはおかしいから、とにかく離れた方がいいよ」って言われて、パワハラやDV のようなものに気づかされて辞めることにしたんです。それでもそのあと、何度も思い出してしまっていろんなこと。」
営業再開のためのシフトの連絡が来なかったり、あからさまに不機嫌になったり、肉体関係の強要もあったという。災難、という言葉が思い浮かぶ。同時に、尊敬できる人のように見えて、素晴らしい空間を作り上げている人でも、心にどこか満たされない淋しさや幼さを持っていることもあるのだ、ということが悲しく伝わってくる。アイダさんは、その後引きこもるようになってしまったが、「おかしいから」と教えてくれ、やめるきっかけをくれた知人の営むお店で、リハビリを兼ねて雇ってもらったりしながら、ようやく時間をかけて外出できるようになってきたところだという。
「状況が、楕円の夢の歌詞にちょっと似ていたというか、いい曲だったけど、まだ聴くのが辛いなと過ごしていた状態でした。でも昨日今日と聞いて、やっぱりすごい好きだなって思いました」
あの曲を作ったときは私自身もぼろぼろだった。 歌にすることで前に進めた、自分を励ますような歌だったと振り返って思う。一度は聞けなく なってしまった「楕円の夢」、そこにこびりついてしまった負の思い出を、どう薄めて上書きし、 聞き直していけるかという地点にアイダさんはいるのだなと思った。やはり失恋の時期に「楕円の夢」の歌詞に共感したというマエダさんが、「今はすごい辛い時期だと思うんですけど」と意見をくれた。
「何年か経ったとき、状況がよければ「そのおかげで今がある」と思えるし、状況が悪ければ「そのせいで今がダメ」に思えるのかなと思いますが、それも日によって違ったり、完全にどっちかじゃなくてうろうろするんですよね。でも、すごくいいと思っていたものに、そういう面があったんだなあとか、そういう人もいるんだなあって苦しいけど、それを知ることも面白いって言ったら変だけど、色んなことがあるんだなって全く知らないよりは知れたことはいいことかもしれないし、意味はあるのかもって思えるのかもしれないですね」 知りたくなかった、ということは勿論ある。それでも、長い視点でみたときに、一つの忘れがたい経験やそれがもたらした教訓というのは、その人の感情の血肉になっていくのだろうと思う。「知らなくていいことなど何もなかった」という言葉の持つ強さは、そういう、人生を少し引いたところから捉えなおせたときに出てくる言葉なのだろうと思う。しかし、アイダさんの悩みは少し違うところにあった。
「誰かにとってその人はすごく良い人かもしれないけど、自分にとっては今すごく悪い人、になってるとしたら、その相手じゃなくて自分に問題があったのかなって考えることの方が多くて。例えばこういう状態になってしまったのは、自分に弱さがあったからかな、とか。何が悪かったんだろうっていうのを考えてしまうんです。「とりあえずそういうの考えるのやめよう」って友達に言われて、排除していってる途中なんですけど。なんか怒りよりも、悲しみの方が大きいので、怒れた方が楽だなってすごく思います」
優しい人なんだなと思う。こんなに「素敵な人」の悪い面を引き出してしまった自分を責めてしまう。怒りよりも悲しみに飲み込まれてしまう。再びマエダさんが、アイダさんと店長が陥った関係について、的確な指摘を入れてくれた。
「何らかの相性があったんだと思います。こういう人がこういう人に出会うと支配的になったり、暴力的になったり。相手も抱えてるものがあって、それが相性によっては出てしまう。そういう人をケアするのは難しいけれど、本来はその暴力をふるう人自体がケアされる必要があるんだろうなって。じゃあ誰がするんだって、すごく難しいと思うんですけど。でもアイダさんが悪いっていうよりも、その相手の人の苦しみがあるんだろうから、その人が救われるといいなって」
以前、性犯罪者についての本を読んだ時に、彼らは欲望のままに犯罪を犯し、人格的にろくでもないやつらだという烙印を押されているけれど、実はその犯罪的行為自体が、彼らにとっては、何らか傷ついてしまった心が、唯一依存できる伺のようなものになっているのだということを知った。だから、捕まって、その伺を急に外したからといって、外に出れば再びそこに依存 せざるを得ず、再犯となってしまう。彼らこそ、ぼろぼろになった心のケアが必要な人たちであり、当事者同士での語り合いで自他と向き合ったり、刑務所を出た後にどのようなサポート体制を周囲と築けるかが、再犯を防ぐ伴になるのだという。店長がどれほどの苦しさを抱えているのか、詳細はわからない。わからないからこそ、アイダさんの自問は自責になってしまう。
「相手がほんとはすごく苦しいのか、あるいは自分のことだけでいっぱいなのか、どっちなんだろうな」
ともらしたアイダさんに、
「どっちかっていうと、甘えられてるのかなって」
とまたしてもマエダさんの視点が鋭かった。「甘え」は子どもだけのものではない。淋しさから、孤独から、人は甘える。不器用な人ほど、自分で自分をがんじがらめにしている人ほど、その甘えの表出はどこか歪んでいってしまうのかもしれない。誰もが、子が母に抱き着くような、猫が人の足元にすり寄って表現するような、まっすぐな愛情表現や、素直な心情の吐露ができる、そういう相手に出会えることができたら、その人の渇きは少しずつ癒えていくのかもしれない。

6人目 今年お母さんを見送った写真家 タケダさん

「私は"富士山"をリクエストさせてもらいました。この曲を初めて聞いたのが、丁度母と富士山を見に、旅行に行った直後で、勝手にシンパシー感じちゃったんですけど。その時期って丁度、母の病気が目に見えて進行してきた時で、なんかそれに対してなんにもできない自分が嫌だったし、向き合うこともできてなくて。ほんとになんか、なんだろ、自分がほんとに嫌いになってた時で、落ち込んでたんですけど。その時に、紗穂さんの歌ってくれる"富士山"を聴いて、なんかこう、いろんな感情を、なんていうんだろう。うまく言えないんですけど、全部掬ってくれてる感じがすごくして、すごい救われてその時に。あの楕円の夢ツアーで、初めて聞いたんですけど、自分が制御できないくらい、多分抱えていたものがバッて溢れて、涙が止まらなくなっちゃって。横の人がすごい「えっ!?」ってなってたのもわかってたんですけど、止められなくて。」
私自身は2018年に父を見送ったが、別れて育ったこともあって、ここまでの死にゆく親への愛惜の念は、抱くことがなかった。父の死はむしろ、父子が遠く離れていた時間の終焉であって、そのことを無意識にも背負っていた私は、むしろ父を近くに感じられるようになり、ほっとした。しかし、ほぼ女手一つで子どもたち3人を育てた母が将来亡くなるときは、タケダさんの気持ちに近い苦しさを味わうことになるのかもしれない。「富士山」は平田俊子さんの詩だ。喪失の歌であると同時に、愛する誰かが空にのぼっていくとき、最後に目に入る富士山に同化してでも、あなたの記憶に残りたい、という強烈な歌でもある。
「あの歌が、本当に洗い流してくれた感じがして。そこからちょっと、吹っ切れたっていうか、母に向き合うきっかけになった感じがしたんです。でも、どんどん母の病気がひどくになるにつれて、ちょっと聴くのが辛くなっちゃって、その歌詞だったり、富士山だったりを、どうしても母に置き換えちゃって、しばらくほんとにちょっと聴けなかったんですけど。母も1月に亡くなって、今回このウチアケがあるって聞いて、もう一回聴きたいなって。紗穂さんの近くで聴けたらいいなって思って、それで申し込みました」
歌がこれほどまでに、人の心身に入りこんでしまうのだということを改めて感じる。その歌に強く惹きつけられ、状況が変化していけば、その歌の空気感や記憶に苦しめられる。時の経過と共に、再びかつての「好き」という感覚に向き合えるようになっていく。その意味で、さきほどのアイダさんのケースとも似ている。
「この曲聴いてると、母とその旅行、富士山を母が見に行きたいって言って行ったんですけど、二人で早起きして、朝早く見た薄青い富士山。なんかいろんな富士山見たんですけど、でもなんか早朝にふたりで見た富士山をすごい思い出して。今も富士山を、母にやっぱり重ねちゃうんですけど、見守ってくれてるのかなって、今は思い出すとすごい良いです(笑)」 」
平田さんは歌詞の中で「富士山=不二山」としている。古来、富士山はその美しさと威厳から「不二」とも表されてきたのだ。二つとない山。二つとない君。美しい山の姿に亡き人を重ねる。タケダさんが、「富士山」という曲と、お母さんとの思い出を経て、「見守ってくれてる」と富士山を眺められることの美しさを思った。
「なんかすいません、シンとさせて」とタケダさんが言うと、「アーミー」タジリさんが
「またBTSの話でもした方がいいですか」
と皆を笑わせてくれた。