SAHO TERAO / 寺尾紗穂

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Uchiakeの記 vol.5 射水篇その1

Uchiakeの記 Vol.5

射水のletterは馴染みのある場所だ。最初の富山ライブのとき、オーナーのしきのさんがスタッフとして駅から車で送迎をしてくれた。その後、住宅建設業をしていたしきのさんのお父さんのところに、長く使われずにいた古い郵便局の建物と、その裏に併設された局長さんの自宅である古民家の売却の相談がやってくる。お父さんは考えた末、娘のしきのさんにこの場所をうまく活かしてみないかと託したのだ。壊されていたかもしれない古い建物がこのような流れで、新しい命を与えられた。今、郵便局だった建物には、「ひらすま書房」やお菓子工房「あまや菓子店」が入っている。二階のスペースもレンタルで色々な団体が利用しているようだ。過去に何度もライブをさせてもらったのは、局長さんの自宅だった民家の、池のある中庭を望む和室。ここに(しきのさんの使っていた?)アップライトが常設されている。夏は近くの川から子蟹が遊びにやって来る中庭をぼんやり眺める時間は贅沢だ。
 この日のuchiakeは前日の金沢ライブに合わせて、それならとしきのさんがセッティングしてくれた。トークだけというのも少し味気ないので、10人のリクエスト曲を演奏してからのuchiake開始となった。

リクエスト曲
夕刻
富士山
二輪草
やんやん山形の
北へ向かう
光のたましい
楕円の夢
ねんねぐゎせ
たよりないもののために
歌の生まれる場所

● 1人目  BTSロスから抜けきれない新聞記者 タジリさん
● 2人目 歌いたい男性 ホリエさん
● 3人目 自分でも「語りの集い」をやりたいフリーライター マエダさん
● 4人目 演歌歌手になりたい高校生 ハシモトさん
● 5人目 「楕円の夢」を聴けなくなった作家 アイダさん
● 6人目 今年お母さんを見送った写真家 タケダさん
● 7人目 役割を「演じる」ことに疑問を感じるソーシャルワーカー ワタナベさん
● 8人目 満員電車への疑問を禁じ得ないサラリーマン ラスカルさん 
● 9人目 明日が来るのが怖くてしかたがない タケノウチさん
● 10人目 久々に大人の集まる場に出てこられたお母さん アライさん  


一人目 BTSロスから抜けきれない新聞記者 タジリさん

「『北へ向かう』をリクエストしました。これは出会いと別れを歌い、且つ旅立つ人を祝福するような曲ですよね。最近僕、周りの人に心配されているんですよ。『大丈夫? 生きてる?』とか。会社の人事部の先輩から『死んでない?』とメールが来るほどだったんですよ。もしかしたらこの中の3分の1くらいの人がそうかもしれないんですけど、僕ARMYなんですね」
黒ぶちメガネのタジリさんが、そう話し始めた時、「ARMY」と聞いて何人かが笑ったけれど、私はその単語がBTSファンを意味することを知らなかったので、頭の中は「軍隊?」と大混乱だった。
「つい最近活動休止というか、BTSのメンバーがソロ活動に重心を置くという話が発表されたんですよ。テレビニュースや新聞でも取り上げられました。兵役の問題はあるし、もうグループでの活動は長くなりました。みんなもう大人のアーティストですから、個々人の表現活動を大切にしたいという気持ちは理解できるんです。でも、BTSとしてはこれまでのように見られなくなるかもしれないわけで。そりゃ落ち込みました。前兆のようなものはあったんですよ。バラード調の新曲の歌詞が『こりゃ無傷ではいられないだろう』と感じさせる意味深なものでした。『You and I, best moment is yet to come 』。つまり、『最高の瞬間はこれからやってくるんだ』って。美しい曲に感動しながらも、ザワザワしていたんですよ。何かあるんじゃないかって。そしたら、案の定グループとしての活動は......。ということで、新しい活動方針の発表以降は複雑な気持ちだったんですね。グループの活動を見ていたいけど、それぞれのメンバーの活動も応援したいっていう。そんなわけで『北へ向かう』の『日々生まれていく新しい愛の歌があなたにも聞こえますように』という歌詞を新しい旅立ちを迎える彼らへのエールとしてリクエストしました。えっと、こんな軽量級の話でいいでしょうか?」
BTSは確か男性グループだったと思う。そして韓国にしろ中国にしろ、一般市民の歌唱力レベルは、はっきり言ってシャイな日本人は太刀打ちできないものがある。アイドルグループの歌唱力もレベルが高い。それにしてもBTSには一人の日本人男性をここまで魅了してしまう魅力があるのか、とうならされた。この中の「三分の一がアーミーかもしれない」と思ってしまうほどに夢中なタジリ氏の「愛の歌」がBTSに届くかはわからないが、この日のuchiakeメンバーには十分に伝わった。ほんの少し緊張ムードもある会の導入としてはみなにほどよい脱力を与えてくれた話だった。

二人目 歌いたい男性 ホリエさん
「僕は今日歌いたくて来ました。一曲歌わせてもらってもいいですか?プロだから演奏しない、とか世間ではあると思うんですが、個人的に曲を授かるようになったというか。音楽自体は好きでバンドをやったりもするんですけど、自立したいって気持ちも芽生えて、「歌いたい」と言って歌うために来た感じです。人前で歌うことに何度かチャレンジしたんですが、ダメージくらうことも多くて、でもこれは繰り返して乗り越えないといけない気がして。諦めようと思ったりもしたんですが、この会があるというので。「やさしいことを考える」という曲を歌います」
そう言って、ギターをチューニングし終えると、ホリエさんの演奏が始まった。

やさしいことを考える
やさしいことを考える

心の尖りをまるくして
あなたのことを考える
自分の心を覗き込み
あなたのことを見つけよう

そこにはやさしさがあるだろうか
そこにはやさしさがあるだろうか

あなたのことを考える
自分の心に入り込み
やさしい心をつかみ取り
あなたにそっと伝えよう

自分の心の真ん中の
光も闇も届かない
やさしい心を伝えよう
心をあなたに伝えよう

拍手が起こる。「光も闇も届かない」というのがユニークだ。そういうものと切り離して、人間の心にはそもそもぽっかりとシンプルに優しい心があるのではないか、という気がしてくる。
「もうちょっとしゃべってもいいですか?これが出来た時、こっぱずかしい曲が出来てしまったなと思って封印しようとしたんです。なかったことにしようと思って。仕事の合間に休憩室で『天使日記』を読んでたんですが、そこにルドルフ・シュタイナーの話がでてきて、"理想は霊的であり、魂がやさしさなんだ"って書いてあって。それで、いい曲に思えるようになったというか、あ、なんか大事にしなきゃいけないかなと思って、おかげで今日歌うことができました。ありがとうございます」
曲を授かった、と彼が言ったことも新鮮だった。赤ん坊を授かる、命を授かるという使い方は目にするけれど、男の人が「授かる」と口にするのを初めて聞いたのかもしれない。「曲ができた」でも「曲を作った」でもない。大切な一曲への愛情、音楽への愛が伝わってくる言葉だった。質問が出た。
「できたきっかけはあるんですか?」
「彼女がいるんですが、いい時もあれば悪い時もあって、上手くいかないときに、手紙をばーっと書いて、"これ気持ち悪いな"ってところを省いていく(笑)。ここはこうだったんだよ、わかってほしかったんだよ、っていうエゴイスティックなところを抜いていく。そうしたらさわやかな気持ちのいい文章になったんです。何もおし付けない、でもすごくポジティブな。で、それの方法を今歌ってたっていう感じです。なんであの、光と闇って言うのは、どっちもいい方に言っているエゴと、わかりやすく悪く言っているエゴと。エゴっていう意味です。そういうのを取っ払った先に多分、魂があるのかもしれん、と勝手にドラマチックになっていくんです(笑)」
愛は純粋なものに見えながらエゴが入り込みやすい。書いた後にエゴの部分を意識して俯瞰して見つけ、抜いてみるという作業は確かに大切かもしれない。高山から来たホリエさんは、身近な場所にも表現を発表できる場があるという。
「前はずっとベース弾いたり、太鼓叩いたりやってて。表現者をいかに盛り上げるかっていう裏方の仕事がすきなんです。でも曲を持つと、聞いてもらいたいってこれはエゴなんでしょうけど、そういう気持ちも生まれて。裏方とはいえ、一つの表現を一緒にする仲間として、なんていうかやれることは同じくらいの気持ちであった方がいいんちゃうかなあとも思うんです」
たしかに、サポートする人に歌心があるかどうかはとても大事なことかもしれない。自分のやりたいことをやる人の演奏と、歌に寄り添おうとしてくれる人との演奏というのはやはりとても違うものだ。歌い手としての体感を知っているということはプラスになるだろうと思えた。裏方が好きだけど、自分の創作表現もしたい、というのは一緒にバンド「冬にわかれて」をやっている伊賀さんのことも連想させた。彼は歌わないけれど、バンドを組んでから、作詞作曲に積極的に取り組んでいる。自分の中から出てきた表現というのは、大事に形にして日の当たる所に持って行ってあげられたら一番いい。伊賀さんは、「ひそかに作りためる」タイプでなかなか聞かせてくれなかったのを、どうせ作ったのならちゃんと形にしようよ、とバンドを作った。結果、「冬にわかれて」でリリースしたアルバムに収録した彼の「君の街」という曲はJWAVEで何か月もチャートインするくらいラジオで何度も流れることになった。前回の吉祥寺でのスターパインズでも、歌を披露してくれたヤナセさんがいたが、授かった歌を大切に歌う人と、それを囲む小さな輪から生まれる拍手とが、いつもこの会をあたたかなものにしてくれると感じる。

3人目 自分でも「語りの集い」をやりたいフリーライター マエダさん
「今日来たのは、寺尾さんにお会いしたかったというのが一番ですが、こういうウチアケのような場を自分でもやってみたいなと思っていて。どういう風になるのかしらって知りたくて。ライターの仕事をしていて、伝統工芸とかお祭りとか地場産業とかを取材に行くことが多いんですが、富山は浄土真宗が盛んな土地で、そこで昔は講(こう)っていう、みなで集まって話して考えることを共有して、何か話すうちにすっきりしたとか、何か見えたとか、そうしてそれは仏様のおかげだね、みたいな集いがあったらしいんです。それがすごくよく機能していた時代があったんだろうなと思うので、そんな場を持ちたいなと。汽水空港も好きで、たまに本を買ったり、森さんの文章を読んだりしています」
鳥取の汽水空港という本屋の店主である森さんは「uchiake」を開くきっかけを貰った人だ。「Whole Crisis Catalogをつくる」という企画は、10人ほどの参加者の困りごとや話し合いたいことを聞いて、皆で語り合い、最終的にその記録として困りごとや願い、問題提起のカタログを作っていくというプロジェクトだ。同じようなこころみとしてはじめてみた「uchiake」はもうすこし緩く、特に言いたいことはないけれど、誰かの話に耳を傾けたいという人も参加できるようにした。マエダさんは、この日の「uchiake」前のリクエスト演奏に際して「夕刻」を選んでくれていた。石牟礼道子さんの詩に曲を付けたものだ。
「来週熊本の八代のイグサの取材に行くんです。八代は水俣と湾を共有していることもあって、取材先は化学薬品にできるだけ頼らないで、いいものを作っていきたいということで始まった団体の方たちなので、心のチューニングみたいな感じでリクエストしました」
八代はオウム真理教の麻原彰晃の故郷でもあって、彼の目に抱えていた障害も水銀と関係があったのではないかという話も思い出す。
「水俣病のような公害って、日本では今ないように見えるけれど、日本じゃないところにいってるだけのような気もするし、日本でも見えにくい所に沢山あると思います。」
そうだろうなあと思う。公害が公害であったとわかるまでには時間がかかる。水俣病も早いケースは大正期から出ていたと聞いたことがある。その時に対応できていれば、戦後の悲劇はなかったはずだが、苦しむ人の数が少ないうちは対策は取られない。だから、今マイノリティとされている、アレルギーや化学物質や電磁波への過敏症、もしかしたら発達障害のような症状を抱える人々も、それに苦しむ人がもっと増えてからやっと原因が究明され始め、対策がとられ始めるのかもしれない。敏感な、繊細なアンテナを持つ人たちの身体が、一体何に反応して悲鳴をあげているのか。本当はその声に耳を傾け、存在にもっとスポットが当たらないといけないはずなのだが。
「よくないとされている化学物質や、たとえば原発みたいなもののおかげ今の豊かな暮らしが実現できていることも事実ではありますよね。生きているだけで、何かしらの加害の側にいて、同時に、別の局面では被害の側に居ることもあって...」
突き詰めて考えた時、自分が納得がいかないことには加担しないか、生きるためと割り切るか。これは本当にその人に任される問題だと思うし、どちらが絶対的に間違っているとも正しいとも言えない。自分が苦しすぎれば、そのやり方からは手を引くしかないのだろうと思う。私がこういうテーマで最近思い出すのは、「投資」のことだ。銀行に預けておいても増えないお金を"各自自己責任でNISAでもやって増やしてください"という時代になりつつあるが、投資信託で私が気になるのは、いくつかに分散した投資先の中に軍事企業も絡んでくるところだ。三菱UFJなど、日本の大手銀行の多くが軍事企業にも投資しているとして一時批判記事があがったことがあったが、確実に利益を上げている企業に軍事企業が入ってくることは不思議なことではない。たかがそれだけのこと、と捉える人がいてもおかしくないし、そのことを重く受けとめる人もいるかもしれない。私の場合は、自分のルーツを考えたときに、どうしても手が伸びなくなってしまう。私の父方の曽祖父は戦前、高知で造船会社を営んでいた。その後、海軍の永田修身とのつながりもあって、曽祖父の会社は魚雷の部品を作るようになって儲けた。そうした前半生の成果、資金力と信用とを手に、彼は戦後政界に進出する。私は、これまで南洋に渡った人々の戦争の頃の話を、あちこちで聞いて来た。帰りの船で、魚雷に船を沈められ、家族を目の前で失って来た人々に沢山出会って来た。それがどれだけ、残酷でむごいことだったかを聞きながら、かつて祖先が関わった軍事産業に私は極力距離を置かなければいけない、と感じた。あなたがとる責任ではない、考え過ぎだと言われたこともある。けれど、経済的な豊かさという形で、祖母も、父も、私の人生も確かに曽祖父の人生と繋がっているのだ。目の前で魚雷被害者の話を聞いた私は、私なりのやり方で責任を取りたいと感じた。彼らの話を伝えることはもちろん一つ。それから軍事企業の利益が混じっていると思われる投資とは距離をとること。誰かの苦しみ、誰かの死と引き換えに、富が溜まり、吸い上げられるシステムを変えることは現状できないけれど、距離を取ることはできる。私は、私なりの理由があってそうする。
「でも年金を払うことは日本国への投資信託なので、投資と距離を取ることは実はとても難しかったりもします。投資先にアマゾンの森林破壊につながる事業があるとかも聞きます。でも年金を払うことで、誰かの暮らしが支えられていて、年金て遺族年金とか障がい者年金とかでもあるので、私たちの世代は今高齢の方の世代より貧しいのだから払わなくていいでしょう?って考えることもできなくて。お金は全部繋がっているから、完全にきれいなお金もなくて。それでも、だから、感謝して、自分が良いと思うことにつかうことなのかなって、思うのですが...」
マエダさんが言うように、何かを判断するときに、絶対的に正しい道を選ぶことは不可能だ。年金を払うことは勿論意味のある事だし、あつめられた年金を少しでも増やすために投資先が選ばれ、そこに軍事産業をも手掛ける大企業が含まれる可能性は否定しようがない。3月には日経新聞の記事に「タブーでない防衛産業投資」というタイトルの文章を見つけた。冒頭には、スウェーデンの金融機関が昨年防衛関連株を自社ファンドの投資対象から除外したものの、4月には6つのファンドで防衛企業への投資を可能にしたと書かれていた。実質的なリターンを考えると、除外は現実的でないという判断なのだろう。掲げた理想は思いのほか早くおろされてしまったようだ。しかし、どういうことなのだろうか、人の涙や血が流れ続けるかたわらで、その状況を利用して資産を増やそうとする行為が続けられている。私にはやっぱりわからない。
 2016年に「環境・持続社会」研究センター(JACSES)が編集したレポート「Fair Finance Guide 第4回ケース調査報告書」では、核兵器やクラスター爆弾の製造企業へ三菱UFJ、みずほ、三井住友、三井住友トラストの四銀行が1.4兆円の投資をしていることを扱っているが、この中でアジア太平洋資料センター(PARC)の田中滋氏が「非人道兵器」について次のような註をつけている。

 本レポートでは、核兵器及びクラスター兵器を非人道兵器として調査対象としたが、対人地雷、化学兵器、生物兵器など、非人道兵器として国際条約で規制されている兵器は他にも存在する。加えて、国際条約では規制されていないものの、ロボット兵器など、非戦闘員の民間人を大量に殺害しているとして問題視されている兵器もある。

田中氏の指摘は非常に重要だと思う。「非人道兵器」とは、死にゆく人に過剰な苦しみを与える兵器のことだ。しかし、考えてほしい。非人道的でない兵器なんてあるだろうか。人間を一瞬で殺してあげる兵器は「人道兵器」なのだろうか。人道的殺人などあるのだろうか。最近はドローン兵器や、不気味な動きをする犬型兵器も登場してきている。無差別殺人は心のないロボットによって着実に担われているのだ。田中氏は、兵器というものの多様さを示し、それらについての調査はこのレポートに含まれていないと書くことで、レポートででてきた数字はこの問題の氷山の一角であると伝え、あらためて軍需産業と投資について読む者に考えさせようとしている。
最近は、企業活動におけるESG(環境・社会・企業統治)重視の流れの中で、ESGの中に、侵略やテロから市民を守る抑止力として、武器製造を手掛ける防衛産業を含めようという動きまで出てきているのだという(「いま聞きたいQ&A ESGをめぐる現状と課題について教えてください」ウェブサイト『man@bow』より)。「平和のための戦争」という、空虚な建前がこんなところにまで及んでくるのだろうか。誰かの死や苦しみを、遠ざけ、その意味を薄めつつ忘れ、利用し、より賢く現実を生きるかのように振る舞うということ。多かれ少なかれこの社会がそのようにグレーな現実の中で動いているのだとしたら、せめて、より黒いものを遠ざけ、自分のできる範囲で、より白いものを選んでいくということが、わずかにできることなのだろうと思う。