SAHO TERAO / 寺尾紗穂

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uchiakeの記 vol.2

Uchiakeの記 vol.2

●1人目 シンガーソングライターにならなかった看護師
●2人目 申し込み時の悩みが解決した映画プロデューサー
●3人目 集団の中にいることが苦手な納棺師
●4人目 台湾人の彼に会えない新社会人
●5人目 自閉症の兄を持つ男性
●6人目 漆器職人の亡父を持つDJ
●7人目 お菓子作りの好きな栄養士(手製クッキーを持参!)


●3人目 集団の中にいることが苦手な納棺師 キクチさん
「今日ライブで「君が誰でも」を聞いていて、友達が東京にそろそろ来そうだなと思いました。福岡にいるんですけど」
と言うキクチさん。「君が誰でも」は「遠くのあなたとステップ踏む そんな夢の続きをみよう」という歌詞がある、明るい曲だ。「そういう勘が鋭いのですか?」と問いかけるとそういう訳ではないのですが、といいつつ「ああ、来るなと思いました」という確信に満ちた言葉が印象的だった。
「悩みと言うほどじゃないんですが、人が集団になったときの暴力性みたいなものが怖くて。父が養子に行っているので、親戚で集まると、血はつながってるんだけど、うちだけ苗字が違うということがあって、どこか遠慮がちになるというか、肩身が狭いような感じがありました。そういうことと繋がっているかな、と最近思いました。いい年して、そういう恐怖心があるので、こういう場所に飛び込んでみようかなと思って今日参加しました。一対一だと大丈夫なのに、人が沢山いると恐怖心が生まれてしまう。それが何かなと」

なんだかとてもよく分かった。私も人間は大好きなはずなのに、心地よく思えるのはせいぜい3人までで、それ以上増えてしまうと居心地の悪さばかり感じてしまうことが多かった。長女がHSP(繊細さん)の気があると気づいてから読んだ本には、「大勢の中での会話が苦手」という項目もあって、私はこの項目だけは当てはまった。それは、人が嫌いということではなく、誰かとの、本質的な、腹を割ったコミュニケーションを強く求めているために、表面的な会話が苦痛になってしまうということらしかった。とても納得がいった。
現在3人の娘を育てているが、保護者会は本当に苦手だし、PTAでベルマーク整理・集計を半強制でやらされたときの、何の差しさわりもないような薄いおしゃべりもとても苦手だった。そこそこ仲の良いお母さんに誘われて5人ほどのランチに出たこともあったが、あまりに居心地が悪く、途中で適当に理由をつけて抜けてしまった。それ以来、ママ友とのランチは誰か一人と、ということにして、それ以上の付き合いは避けている。PTA活動も一通り参加したけれど、集団の醜さにぶつかることがあった。PTAに熱心な人というのはそんなに多くない。しかし、要領のいい人は沢山いる。「面倒なものはさっさと子供が1,2年のうちに終わらせてしまいましょう」という消極的理由から積極的に役を受ける。そういう人は、5、6年になって何もやっていない人たちに対し余裕があり、優位に立つことができる。そして、何もやっていない人を許そうとしない人が多い。自分たちは「きちんと計画的に」役を引き受けてきたからだ。彼らはその分「平等主義者」なのだ。引っ越す前の杉並の小学校時代、クラス懇談会に出てみると、こんな会話が聴かれる。「あの人、持病があってできませんとか泣いてたんだよ」「フツーに元気じゃんね」。役からの免除を希望する人は、自分の健康状態や家庭状況、仕事の事情など、プライベートを明かし、それが正当と認められなければ役を受けざるを得ない。ボランティア活動であるPTAは全国およそすべての学校において半強制参加のシステムとして長年機能してきたのだ。戦後アメリカから導入された民主主義的組織は、日本的集団主義の中で強制性を帯び、それが伝統となってしまった。会長の一念発起で、こういった状況から脱し、PTAが解体されて本来のボランティア組織として生まれ変わっている学校もあるが、まだまだ少ない。最近は不登校の子も増えて来て、退会希望者もふえていくと思われるが、今三女が通う、東京都市部にある小学校の会長の話では、「前会長は、長期の不登校を理由に退会を求めたお母さんの希望を受け付けなかった」という話も現会長から聞いた。単なるボランティア組織であるはずなのに、どれだけ人々を縛り付けたいのだろうか。私は、PTAを抜けることにした。この小学校ではまだ一人の退会者も出ていない、ということも理由の一つだった。退会の前例は必要である。そして何より私自身が、役員選出の場に巻き込まれることが嫌だった。くじで保護者会欠席者が勝手に委員に決められたり、「どなたかに決まるまで帰れません」と軟禁まがいのことがまかり通ったり、本部役員以外の他の細かな役決めでも、後任が決まるまで誰かが延々とお願いの電話をかけ続けなければならなかったり、色々とおかしいのだ。おかしいと思う集団とは距離をとる。それは許されることだと思う。

「だから、なるべく人と関わらずにできるような仕事を選んできました。納棺師は、ご家族とのコミュニケーションもありますが、そこまで多くないので。亡くなられた方と一対一だと、割と、やりやすいっていうか。納棺師自体は、専門学校がある訳ではないので、納棺会社か、大手葬儀社の下請けの会社の納棺部門で先輩に長くついて習う感じで。古い業界なのでパワハラみたいなこともあったりするんですが...。綿を使ってご遺体を整えたりですね」
キクチさんは静かに語ってくれた。集団が苦手ゆえにこのような仕事を選ぶということがあり得るのだなと、想像もしなかった展開に驚く。あだちくんは、『音楽のまわり』のエッセイでも中学時代が灰色だったような話を書いてくれていたので、あだちくんは集団どうですか、とふると
「めちゃくちゃありますよね、怖いっていう感覚。暴力側、集団側に回る人ほど怖がっていて、だからこそつるんだり、周りを見下す発言したり、それによって安心を得ている。一人でいるのが怖い。集団への恐怖っていうのは、今もないわけではない。でもそういう時は体を器にしちゃう。目を見て話すのが恥ずかしいとか。そういう感情と結びついている回路を変えてしまう。そっちは一端おいておいて、というそういう使い分けはするな。それをみんなができるようになったら良くなると思うんだけどね」
あだち君の話をなるほど、と思いながら聞いていたが、私の場合は恐怖心というよりも、そういう集団が強いてくる理不尽さに対しての怒りの方が強いかもしれないと思った。しかし、人によってはその場を逃げ出すこともできず、恐怖心の方が強くなってしまうだろう。あだち君が続ける。
「こないだもね、サウナ行ってテレビ見てたら、芸能人がカラオケ歌う企画で、芸人が上手に歌うんだけど、それをすごい下げるナレーションが入るのね。ビートたけしが歌ったら、そんなこと言わないだろうに。それでイラっとしちゃって」
お笑いのいじりは問題があることはよく指摘されている。何度も頭を叩いたり、笑いのために相手を貶める。神戸の教員間の陰湿で幼稚ないじめが表ざたになった事件があったが、ああいう陰惨な場面をビデオ録画して笑い合う傾向も、テレビのお笑いやバラエティ番組の影響が皆無とは言えないだろう。
 集団に恐怖を感じながらも、この「uchiake」の場に思い切って飛び込んでくれたキクチさんに感謝したい。同じ集団でも、圧があり恐怖や理不尽さが生まれる集団とそうでない集団は何がちがうのだろうか。まだ答えは確とはでないのだけれど、この日の「uchiake」の雰囲気を思い起こすと、個人が個人としてやってきており、初対面ゆえの適度な距離感がそれぞれにある、ということになるのかもしれない。しかし、それぞれ参加者はこちらの音楽を聴いてくれている関係なので、よそよそしさのようなものはあまりない。誰かの話を聞きあったり、語りあっただけなのだが、終ってみると、不思議と満たされた気持ちと、それぞれの参加者への親しみや愛しさ、感謝のような感覚が残るのだ。


●4人目 台湾人の彼に会えない新社会人 ミカンさん
 「誰かに知ってほしいけど、家族にも言えなくて」と切り出したのはクラリネットの彼女、ミカンさんだ。学生時代に半年一緒にいた台湾人留学生の彼が台湾に帰った後、何度かは台湾に行けたが、コロナで二年半以上会えていない。最初のころは10時間ほどの長電話を毎日していたという。一年目は、「来月は会えるかもしれない」という期待があったから何とか乗り越えられた。しかし、二年目に入る。去年の4月くらいから、結婚すれば行き来が許される、と結婚を考えもしたが決められずにいた。

「地元では、色んな思い出があって、仲が良かった時期の私達を知っている知り合いも多くて、そのことに言及されるのがしんどかったので、月一回くらい、つくばの方に良くいくようになったんです。People Book Storeとか、千年一日焙煎所とか。月のうち、そっちに一週間くらい滞在して、すごい救いになって。音楽やったり芸術やってる人も多くて、ずっと繋がり続けたいと思う大切な人が出来て」
つくばのその界隈の人々は私もライブに呼んでもらったり、本を売ってもらったりと繋がりがあった。筑波大の芸術系専攻の学生たちが自然とそのあたりに集っているようだ、ということは知っていた。台湾の彼に会えない辛い現実から逃げたくて、自分の幸せになることを求めてつくばに行っていたというミカンさんは、二人だけの答えの出ない苦しい世界から抜け出せていたと言える。彼女は迷いつつも、彼からの結婚の求めに答えを保留したいことを伝えた。すると、彼が自殺未遂をするなど不安定になってしまったという。
「もともと、鬱病で自殺しようとしてたんだけど、私と出会って希望を感じたって言ってくれていました。それが、また不安定になってしまった。家庭の話を聞くと、父親に殺されそうになっていたり、信じられないような中で育ってるんです。これから私は新しい会社での生活が始まるし、どこに進んでいくんだろうって。どうしたもんだろうかって。不安定になった彼に「大丈夫、結婚しよう」って言ったりして、「はあ、どうしよう」って感じです。自分の中で誰かに聞いてほしいって思っていて、こんな話聞かされて困ってしまうと思うんですけど...」
コロナという先の見えない状況、そして機能不全家族のもとで育った、精神的な危うさを持った彼との遠距離恋愛。事態の重さに、一同簡単には言葉がでてこなかった。
「‥‥‥少なくとも、彼が不安定だから、そこに引っ張られるようにして結婚を決めるのは違うかな」
少しの沈黙のあと、私が言葉を探しながら答えると、
「もうちょっとしたら会えるようになるんじゃないかな。色んな国が開き始めているし、それがそう遠くない時期に来てもおかしくないと思う。お辛いとは思うんですが。宙ぶらりんですよね」と伊賀さん。
「機能不全家族で育った人を支えることについて。覚悟のいることだと思います。ちょっと自分が寄り添ってあげればよくなるんじゃないか、っていう考えがいかに甘かったかと、私自信も思い知らされたことがあって。心の底から愛しあっている二人だったらそこから抜け出せる可能性があると思うんですけど、それが揺らいでしまっている状況や、中途半端な好意だと大変なことにもなりうるな、というのは感じています」
彼と彼女の間にはどの程度の信頼関係が生まれているのだろうか、遠距離によって、または彼が不安定になったことによって、その関係に変化は起きていないだろうか、ということが私の気になっていたことだった。
「それだけ離れてしまうと、自分のホントの心とか気持ちとかも、どこにあるのか、ちょっとわかんなくなってしまうような、感じもあるかもしれないから、やはり再会を待ってですよね」と言うと、ミカンさんは、「ごめんなさい、一個だけ」と全く違う話を始めた。
「天使の話なんですけど。ピンクの羽が現れたんですよ。話していいですか?そのときバイトしてて、彼にあった2019年です。初めて私のバイト先に来たんです。それで、トイレ行ってお尻ふいたら出てきたんですよ、それ。ピンクの羽。え、私、鳥人間?とかって意味がわからなくて、お母さんにメールしまくって。びっくりしすぎて、捨てて。色んな要因を考えたけどほんとに何もなくて笑。なかなか誰も信じてくれなかったけど、つくばには信じてくれる人がいて。自分から出てきたのか、その瞬間落ちてきたのかわからないんですけど‥‥‥。何年かたってから、あれほんとだったのかなって思って三歳からつけてる日記読み返すんですけど、ちゃんと書いてあるんですよ、その日の日記。その一年後くらいに仲いい子に話したら、ピンクの羽は恋愛の印だよって。あ、だからあの時期だったんだ、この人なんだって」
「ちょっと、待って。三歳から日記って!」
「つけてました。毎日ではないんですが。天使日記を読んで、あ、同じ人いた!って思ってそのことはすごく心の支えでした」
ユニークな人だ。しかし、私は、ちょっとほっとした。天使の羽のエピソードをとっさに出したミカンさんが伝えようとしたことを了解した。気持ちが色々と揺らぎつつも、彼の存在が、確かに彼女の中で根を下ろしているのだと感じることができた。今の話をこの場の全員が信じているかはわからない。けれど否定する人は誰もいなかった。私が「天使日記」を書いた人間だったこともあるだろう。天使の羽を拾う人がいるという話はどこかで聞いたことがあって、でもそれは半信半疑だった。しかし、目の前の彼女がそのような奇妙なシチュエーションでピンクの羽に出くわしている。作り話にしても思いつけないだろう奇抜なエピソードで、そこに妙なリアリティーがあった。
「それは安心材料というか、本当に縁のある人なのかもしれませんね」と言うとミカンさんは「うんうん」と嬉しそうだったので、「気長に待つ」と終わることができた。深刻に始まったけれど、不思議なエピソードによってほっこりと終わった不思議な時間だった。