SAHO TERAO / 寺尾紗穂

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uchiakeの記 vol.1 吉祥寺篇その1

uchiakeの記 vol.1

「uchiakeはじめます」と題して、2022年4月10日吉祥寺スターパインズで行った「冬にわかれて」のライブの告知と一緒にこんな文章を載せた。

  鳥取・汽水空港という素敵な本屋さんの店主森さんのこころみに
  Whole crisis catalogという冊子を作るものがあります。
  これは、お店のお客さんなど10人程度に自らの困りごとをシェアし、
  それをその場でみなで考えてみるという小さな人間の輪から生まれていく冊子です。
  冊子には、誰かの困りごと、訴えたいこと、気になることなどが並んでいます。
  そこには自分ではない誰かに見えている景色が広がっています。
  自らの無知をつきつけられ、社会の在り方や、人の幸福の在り方について
  一歩踏み込んで考えるきっかけになる言葉にあふれています。

  ずっとこのこころみに共感を感じ、森さんに敬意を抱いてきました。
  そしてふと思いました。
  東京でもこの小さな会合を持つことができるのではないだろうか。
  そして、東京にこそ本当はこういう場が必要ではないか。

  今回、冬にわかれてのメンバーにもこの考えをシェアしたところ二人とも
  「面白そう」「参加したい」という意思を表明してくれました。
  そこでまずは、4月のスターパインズカフェでの冬にわかれてのワンマンライブから
  このこころみを初めてみます。

  出演者やスタッフ内で行われる打ち上げを外に開くイメージまた、
  普段心のうちにしまっていること、感じていることを内側から表に
  出してみるという意味もこめてこの小さな輪をuchiakeと呼びたい
  と思います。

  基本的にはどなたでも参加できます。
  何かに困っている人、普段違和感を感じていることがある人、
  誰かと話し合ってみたいことがある人、家族や職場の人には
  言いにくいけれど、誰かの意見をきいてみたい人、とにかく誰かと
  話したい人、特に言いたいことはないけれど、自分の視野を
  広げるために輪に加わって耳を傾けてみたい人、寺尾紗穂や
  冬にわかれてやその他の音楽やライブから受け取っているもの、
  受け取ったものを伝えたい人、未来について、過去について、
  あるいは過ぎていく日々について、思うところを共有したい人など。

  人数が少ないので完全に先着順にはなってしまいます。
  またすべての会場でできることでもありませんが、場所を
  探しながら回数を重ねて色んなかたにお会い出来ればと
  思っています。
  uchiakeで集まった言葉たちをどのようにシェア、発信していくかは、
  初回集まったメンバーとも話しをしながら決めて行けたらと思います。

定員7名の枠はすぐに埋まり、「予約できなかったけど参加したかった」という声もいくつかもらった。この記念すべき第一回のuchiakeの中身をどのように、発信していくか。アイデアの本家の汽水空港にならって冊子を作るのもありだった。しかし、とりあえず、私がこの会に参加して受け取ったものをエッセイ「uchiakeの記」として形にしてみようと思った。それはあまりに濃密な時間だった。
参加者は仮名の人もいるが、読みやすさのためにカタカナ表記で名前をださせてもらい、原稿もご本人にチェックしてもらったものを、これから少しずつアップしていこうと思う。

Uchiakeの記 vol.1

●1人目 シンガーソングライターにならなかった看護師
●2人目 申し込み時の悩みが解決した映画プロデューサー
●3人目 集団の中にいることが苦手な納棺師
●4人目 台湾人の彼に会えない新社会人
●5人目 自閉症の兄を持つ男性
●6人目 漆器職人の亡父を持つDJ
●7人目 お菓子作りの好きな栄養士(手製クッキーを持参!)

●1人目 シンガーソングライターにならなかった看護師 ヤナセさん
 ライブが終わり、物販コーナーに行きサインに応じていると「あの、uchiakeは二回目もあるんですか?」と聞かれたので、「その予定です、地方でもできたらと」と答える。今回はバンドメンバー2名と共にひらくので、お客さん側の定員は7名だった。先着に漏れてしまった人かもしれない。
 店長の伊藤さんが、そろそろ食事もできていますので一階に、と案内してくれる。ちゃんと会話したこともなかった伊藤さんにメールでuchiakeの相談をしたとき、「ちょっと怪しげな会ですが・・笑」と言うと「怪しいけど、大事なことだと思います」と返事をくれたので、会の意図をちゃんと受け取ってくれていると感じた。挨拶してみると、ちょっと派手な感じの雰囲気の人だけれど、「uchiake、どうなるでしょうか。こっちがドキドキしちゃって」と緊張していて面白かった。一階に降りてみると、7名が円形に置かれた席についてそれぞれのミニテーブルには伊藤さんと打ち合わせてお願いしていたサンドイッチプレートが置かれていた。この時世、食べながらしゃべる会を始めることができないので、先に食べましょうと皆で食べ始める。最初伊藤さんから「ポテトとから揚げとかでいかがですか」、と相談されたとき、「ちょっとそれだけでは・・」と難色を示したことで意を汲んでくれたのか、マリネやサラダもあってバランスの良い、心づくしのプレートになっていて感謝する。楽器の片づけが終わって輪に加わった伊賀さんとあだちさんも食べ始める。
「これだけの人間がいて誰も話さないのやっぱ異様だよな」
とあだちさんが言う。娘たちの給食もこんな感じになっているのだ、と思う。これの4倍くらい人がいる教室で、しかも黒板を向いて互いの顔は見えない。おかしいことをおかしいと言える人は貴重だ。私も、担任に言って、市長への手紙にも書いたが、市の教育委員会の方針が変わる気配はない。市教委が変わらないと現場はなにも出来ない。教師は自分たちの頭を使わない、使えない。困ったシステムだ。
 早食いの私もさっと食べ終わり、先に食べ終わっていたヤナセさんから話を始めてもらう。彼は、前もってメールをくれていた人だった。曽我部さんのようなギター弾き語りに憧れたが自分には才能が足りなかったと、違う道を歩んだ人で、それでも一曲聞いてもらいたい曲があるというので、では当日弾き語りでお願いしますと返信していた。
「一曲だけそれなりにいいかなと思って作ったんですが、一曲だけ披露する場所もないし、今回聞いていただける機会があったら嬉しいなと思っていました」と曲のチューニングに入ってくれた。
 私がオープンマイクの話をすると、あだちさんが「僕も18才の時、高田馬場のカフェでオープンマイクでたことがあって、そこで三輪二郎と知り合ったの。そこで出会って20年してもまだ付きあいあるからね」と教えてくれる。音楽をやられてた方いますか?と聞くと、2人手があがる。一人の男性は、大学時代JBなどのコピーバンドをやっていたというベーシストだった。今は、歌の友人とたまにスタジオに入って、セッションをしているという話に、「それが一番楽しい音楽の形だよね」と伊賀さん。歌いたいから歌う、弾きたいから弾く。そしてお互いが必要である。そのシンプルな関係の朗らかさを思う。もう一人は、若い女性でクラリネットが吹けるといい、自分が元気のない時、自分でリラックスするためのクラリネットの曲を録音してそれに癒されているという。「自分で作った音楽に自分で癒されるっていいね」と伊賀さんが言うと、「自分で作ってるからこの次はこの音っていうのがわかっていて、その音がなるとお~って(笑)」とろけるような表情で独特の自由さで語る。
「作った音源をyoutubeにあげてもいいのでは」という伊賀さんに彼女は「まずは目の前にいる人を笑顔にしたい」と地に足の着いた言葉が返って来た。今月から社会人だという。
友人から相談されて、いい言葉が見つからなかったとき、クラリネットを録音して送ってあげたことがあるという。音を送る、というのは素敵なアイデアだ。坂口恭平も「いのっちの電話」の電話口でよく歌を歌う。その人のために、生み出された音。それを受け取る時、人は自然と心の鎧を脱がざるを得ないのだと思う。心のこわばりを緩ませる術。言葉の応酬だけではできないことがある。それをメロディが可能にする。ギター弾きの彼の準備がととのって「最高のライブの後で申し訳ない」と謙遜のあと、演奏が始まった。
 
なにげないよな風景の中 忘れてた幸せを思いだしたよ  
夢に見たよな 毎日の中 さりげない輝きを見逃さぬよう
シンプルな歌 シンプルな愛
そうさ そんなものを求めていたのさ

コーヒーを飲もう ケーキを食べよう
街の中 歩いてく 風に吹かれて
その角曲がり 少し行ったら
調べてたカレー屋があるはずだから

シンプルな時間 シンプルな日々
そうさ そんなものが大切だから
シンプルな歌 シンプルな愛
そうさ そんなものを求めていたのさ

素敵な音を聞いて、その音に憧れて、また音を生み出す。世界中で、音の魅力に魅せられて色んな音が鳴っているのだ。なんて素敵な光景だろう。
「僕の中では嫌いじゃないな、という曲でした。いい思い出になりました。ありがとうございました」
長い拍手が続いた。「嫌いじゃない」という言葉の響き、謙遜が入っているのかもいれないけれど、なんだかいいなと思った。まあまあいいんじゃないか、そんな力の抜けた雰囲気がある。誰に頼まれるともなく、人は奏でる。そこに自然な姿がある。人間という生き物への愛おしさが心にじわじわと満ちた。音楽を仕事にできなかった人とできた人、という分け方がある。「音楽を仕事にできなかった」と、よく耳にする。でも、音楽を現在進行形で続けている人と、もうやめた人がいるだけなんじゃないか、とも思った。後日あだちくんも「あの演奏きいていて、僕もそう思っていた」と教えてくれた。

●2人目 申し込み時の悩みが解決した映画プロデューサー ハセガワさん
 お次は、ベースを弾く彼、ハセガワさんだ。職業は映画プロデューサーだが、実は申し込んだ時に抱えていた悩みがほぼ解決したという。
「映画の現場だったんですが、めちゃくちゃ忙しいというのもそうですし、監督じゃないので、自分の求めている表現ができないというところでひっかかっていました。整体に行ったんですが、「映画、飽きたんじゃないの?」って先生に言われたら、急に楽になって。自分を表現することと、一つの映画作品作ることは違う、作品を作ればいいんだと。自分の好きなもの作るんじゃないんだと」聞いていて、彼は自分の視点をずらせたんだなと思った。整体の先生という全くの第三者から、ぽんと投げられた言葉が、考え過ぎて固まっていた彼の考えをほぐした。詳しく見れば彼は映画に「飽きた」わけではなかったのかもしれない。しかし、その言葉を投げられたことによって、「あれ、自分は映画に飽きたのかな?」という疑問が生まれる。それが、煮つまっていた思考の隙間を作り、そもそも映画とは、プロデューサーとは、という自問に繋がっていったように思える。私は聞いていて、監督とプロデューサーの関係は、アーティストとデザイナーの関係に似ているのかな、と感じた。デザイナーは視覚的美意識のプロであり、3つの候補があれば「これがよい」という優先順位を当然付けられる人だろう。ただ、アーティストとの共同作業の中で、これは嫌だとかこっちの方がいい、という注文が当然ながら入る。それをいか現実に寄せて調整していくかというのが仕事なのだろうと、身近なデザイナーとのやりとりを思い出す。当然私はわがままを言う方だ。つまり、出来上がったものは当初デザイナーが最も良いと考えたものとはかなり変わる可能性が高い。だから、調整能力や柔軟性がデザイナーには最も求められる力なのかな、とうっすら感じている。おそらくは、ハセガワさんもそのことに気づけたのだろう。
悩みの多くは、自分の思い込みや自分の中で作り上げていた設定や限界、こだわりなどにとらわれることによって出口を見失うように思う。だからいったんそこから離れるためのきっかけが重要なのだ。人によって、友人やカウンセラーの言葉だったり、本や映画で出会った言葉だったりするのだろう。
「そういえば整体の先生に、自分が気に入ってる曲を聞かせたんです。それに「tandem」と蓮沼執太さんの「ロータウン」ていう曲と、ウェザーリポートの「バードランド」。そしたら「全部都会的な感じがする、街の子なんですね」って言われて笑。東京生まれ東京育ちなのでそういうのはあるかもなと」
私は伊賀さんからtandemが送られてきたとき、一匹のアリが歩いているイメージが浮かんだ。一方伊賀さんは「tandem」と名付けたものの、二人乗りなどのイメージで作ったわけではなく、「雨の中の街灯の光」「水面の光」など光のイメージから作った曲だという。
「寺尾さんのアリというのはよくわからない(笑)。整体の先生が街っぽいというのも、あまりよくわからない(笑)。人によってイメージが違うのが面白い」と伊賀さん。インスト曲は、特に人それぞれのイメージを喚起する。伊賀さんが続けた。
「アーティスティックな自分ではなく、組織の中で求められる自分の力に気づいて、見つけられたというのは良かったですよね。僕の場合は逆で、会社の組織には全然馴染めなくて、もともと会社員向きだと思っていたんだけど、全然違くて無理なんだと気づいて、30才前にミュージシャンの方に行った」。自分で会社員に向いていると思っていたというのが、恐縮キャラの伊賀さんらしくて面白いところだが、若いうちは多くの人が、自分がどのような人間なのかを明確につかむことはできていないだろう。自分の核の部分や、どこまで何を譲れるのかというのは、当然ながら一人一人違い、経験を通してしか見つけて行けないのかもしれない。
 「悩みは解決してしまったので...」と遠慮がちに話し始めたハセガワさんだったが、悩みが生まれ解決していく一つの事例をみなで共有できたのは、とても意味のあることだったと思う。