あおやまのおきばに寄せて
エレピで演奏を頼まれるというのは、私にとっては「片腕で演奏してください」と言われるのと同じだ。どうしても弾きながら一番大事なエモ―ショナルな部分に響いてこない。もちろんローズの音色を使えるので、曲によっては合うものもある。けれど、生のピアノだと100の波が作れるとすれば、エレピは70くらいがせいぜいで、当然歌もあまりのらない(エレピでは全く無意味、と思えてやらない曲もいくつかある。その代表は「青い夜のさよなら」収録の「富士山」だろう)。だから、可能なときは誰か助っ人を求める。それはベースの伊賀航だったり、ドラムのあだち麗三郎だったりするのだけど、今回は瞬間的に松井一平だ、と思った。一平さんとは、2015年に7インチレコードを一緒にだして、それ以前から「おきば」という絵と音楽のコラボレーションライブを、ぽつぽつと行ってきた。たぶん私たちが渋谷のヒカリエで出会ったのは2012年で、もうそれから8年も経った。久しぶりに連絡をとると、一平さんは「8年か、大人になったなあ」と言った。
一平さんとの「おきば」ライブをするとき、私自身は、背後や横で進行するドローイングの全貌はほとんどわからない。それでも、そのライブに参加してくれた人たちの「浸り方」というものは、終わったあとにたくさん聞いてきた。みなそれぞれに、歌とピアノと、進んでいく絵筆、破られる紙によって新たにスクリーンに作られる景色を眺めながら、個人的なことを思い出したり、過去の誰かのことを思い出したりしているようだ。もちろん、音楽のみのライブでも同じような浸り方はできる。コラボレーションが面白いのは、そこにもう一人の視点と表現が入ることによって、思いもかけない連想が浮かんできたり、ある感情がより一層増幅されたりすることだろう。私と一平さんとみる人、三者の共鳴が起きるとき、二者での共鳴よりもさらに深く、それぞれがその世界の底にもぐりこんでいる。この、非日常の世界に深くもぐりこむ、ということが、今とても大事なことのように思えたから、一平さんともう一度「おきば」をやりたいと思った。
「おきば」というのは、そこに集まるみなが、抱えてきた何かを「おける」場所であり「おく」ための場所だ。リモートではあるが、画面の前でそれぞれがその時間、何かを思い出したり、解放したり、手放したりできるような場所がうまれたら、と思う。
一平さんは灰色、だと思う。今回のために描きおろしてくれた鴨の絵も、周りの岩につい目がいってしまう。さまざまな表情がその灰色に託され、隠されている。久々に、一平さん作詞で私が曲をつけた、ライブ以外では未発表の曲「灰のうた」を歌ってみた。
言葉が出てこないのは
会う前にわかること
踏み台にのって
きしむ音をきく
取り戻せないことの上にも
僕ら立っている
この曲を最後に歌ったときは、まだ父も生きていて、もちろん今は失われてしまったありふれた日常というものが、手のひらの中にあった。今、世界が、私自身がきしむ音を聞きながら、フェイスブックの誰かの投稿を読むこともしんどくなり、そっと距離を置いた。今度の「おきば」は私にとっても、たくさんのものを置く時間になるのかもしれない。いろんな過去の歌がまた新たな意味をもって迫ってくる。泣かないようにしないとね。
無観客配信ライブ 寺尾紗穂と松井一平"あおやまのおきば"
"あおやまのおきば"
寺尾紗穂(歌、ピアノ・キーボード)
松井一平(ライブドローイング)
2020年5月8日金曜日
夜19時 青山・月見ル君想フより配信スタート
無料配信・投げ銭1口1000円
配信URL:https://www.moonromantic-channel.com/
●投げ銭購入は以下の方法でお支払頂けます。
・クレジットカード決済
・PayPal
・alipay
パソコンでの視聴を推奨いたします。