SAHO TERAO / 寺尾紗穂

寺尾紗穂オフィシャルウェブサイト

Blog

Zinesterの夜

Zinesterの夜のことはなんとなく書き残さなければならないと思っていた。桜台poolで開かれたzine愛好家たちが集う音楽イベントに松井一平と参加したのだ。しかし私は桜台もzineも知らなかった。それで、当日会場に向かうのに、西武新宿線の遠い乗り場まで歩いてから、切符売り場の路線図を見上げて唖然としたし、ついてからも主催のモモさんにzineの説明をしてもらってようやく了解したのだった。なるほど、会場にはたくさんのフリーペーパーのようなものが置かれており、その中に私と一平さんの「おきば」も置かれているのだった。ハングルのものも目立つ。大学院のとき少しかじったので発音だけはできるハングルを見つめて、小さく発声してみる。中尾勘二インタビューという冊子もあって、しばらく立ち読みする。ライブ会場は地下二階、すでに中盤をすぎているが、とりあえずライブの空間に入ってみる。SJQという西から来たバンドの最中であった。室内の四方をお客さんが立って囲み、真ん中で演奏している。面白いことをやっていたが、室内は熱く、だんだん演奏が佳境に入ると薬物の酔いみたいになって、倒れそうになった。治りきらない風邪で今夜も発熱していた体は持ちこたえることができず、会場を出る。近くに珈琲家族という喫茶店があって、そこに入ろうとしたが、いや待てよと所持金の少なさを思い出して、200円で一杯飲めるドトールがないかなとうろうろする。こんなことを書くと、最近新譜で「珈琲」を出したくせに、けしからんと言われるのであろうか。私は、はっきりいって、コーヒーへのこだわりというものはほとんどない。好みとしては、酸味のあるものはいやで、マンデリンのような苦いものの方が好きという傾向があるが、ブレンドをだされれば黙ってそれを飲むし、アメリカンみたいに薄いのだって、ポーカーフェイスで飲み干せるだろう。新譜「珈琲」を出したかったのは、うちのレコード会社の社長で、コーヒー大好きなのも彼である。彼は中国茶も大好きで、訪ねていくと会議室で自ら湯の温度を計って入れてくれたりするのである。おそらく飲み物全般好きなのであろう。私は飲み物に対して食べ物ほどの情熱を持てない。食事の時も水分がなくてもまったく構わない。飲み物がないと食事ができない、という人はよくいるが、お前はよく咀嚼して唾液をだしているのか、と問い詰めたくなる。そのようなわけで、私は、200円のドトール珈琲を探してさまよっていた。すると松井一平に出くわして、彼もマックで奥さんのアキさんと珈琲飲んでいるところだという。そこにお邪魔することにして、アキさんとしばし話をする。
「最近はかまいたちはどうですか」
「少しあるけどあんなひどいのはもうない」
あんなひどいのとは、つくばライブに彼らと行った日に、アキさんのほぼ全身に生じたかまいたちのことだ。小さい頃からよくなっていた、というかまいたちの話を興味深くつくばまでの車中で聞いたのだった。一平さんが、朝おきてどうしたのほほの傷、ブルース・リーみたいだね、と言うと、テレビのニュースから、今日はブルース・リーの命日です、との声が流れてきたのだという。私は不思議なことが大好きなので、この二人の話を聞いているといつまでも飽きないのだ。

会場に戻ってみると、プカプカブライアンズの最中だった。テニスコーツ+ベースのグループだ。さやさんがドラムをやっていた。良い感じに力の抜けたドラムかと思うと、次の曲では男勝りな感じでバンバン進む。変化が魅力的だった。ふと、二人の大学時代のサークル室に迷い込んだようなそんな気分。私たちの出番はあっというまにやってきて、ライブもあっという間に終わった。今回は私が真正面を向いて歌って、一平さんの絵が映るスクリーンを一切見なかったので、最後の一音を弾き終えたとき、最後の絵は見られるかな、と振り向いてみた。すると、もうそこには絵はなく、一平さんの足元に投げ散らかされた絵の残骸が落ちているばかりだった。化学反応の花火は終わって、私の背後に確かに幻は生まれていたのだ。瞬間的にその残骸をいちいち見なくてもよい気がした。お客さんがまさに鏡のように、反応を返してくれた。私はお客さんの目の奥の静かな興奮を見つめていれば良いのだ、と思った。
「あの絵は捨てちゃうんでしょうか」
よかったです!と駆け寄ってきた二人の女の人のうち、一人が、一平さんの描いたまま床に捨てられている絵を見ながら私に尋ねた。
「捨てちゃうんじゃないかな、くださいって言ったらもらえるかもしれない」
一平さんの友達らしきその二人はzinesterらしく、それぞれ手製の冊子を一部ずつくれた。その一冊に「LIARS」と銘打たれていて、思わずページをめくる。「アンインテンディッド・ライアーズ=思わず嘘をついてしまう人」とある。蒼井優似のその発行人の顔を見つめる。「思わず嘘をついてしまう人?」
「あ、はい」
「私もです」
ほっとしたように蒼井優の顔がほころんだ。

この夜接点のあった人たちはどこか不思議となつかしく、そのことが今文章を書いていることにつながっているが、一人目は私が2年前の9月原発デモでアルタ前で歌ったとき、アルタ前に到着したときに話しかけてきてくれた人だ。DJもやっていて、自らは田んぼの音を田舎に録音しにいって、CDにしているという。一枚いただいてしまった。カエルや虫も都会では聞かれない種類の声が録音でき、その種類を聞き分ける耳ももっているという。
「それはすごいですね。私カラスの声を聞き分けられるようになりたいのですが・・独学されたんですか」
「小さい頃からそういう知識があって」
「希少なカエルの声なんか集めておいたら、絶滅してしまった場合なんか将来貴重な資料になりますね」
「まあそうですね、というか自分としては音楽を作っているつもりなんです」
CDを家で聞いてみると、その言葉には合点がいった。砂利を踏む靴音から始まり、川のせせらぎの音が強くなったかと思うと、カエルの声に近づく。その場で音を一斉に体感するのともまた違う、不思議な臨場感と緊張感。この日、ワンマンライブのチラシを一応持ってきてはいたが、落ち着いて配る場所もなさそうだったので、カバンにしまいこんであったものを一枚だしてきて差し上げた。

二人目は、私が10月に開催しているビッグイシュー応援イベント「りんりんふぇす」に過去三回も来てくれているという人だった。その人の目は、私のよく知っていた二人の男性の目によく似ていた。一人は2002年の上海で出会って一緒に旅をしたシャオピン。もう一人は名古屋在住だった、ファンの秋色さん。突然亡くなって骨壷になって私のライブを訪れた人。どちらも忘れがたい人だ。
「あの、あなたの目に似ている人、過去に2回出会っているんです」
一瞬困惑した二重の瞳が、なつかしく笑ってくれた。

もうそろそろ、帰らなければと思っているところに、さやさんが現れた。握手。
「ああ、寺尾さんに会うと元気になって、ワーーーってなる」
ワーーーっていうのは多分いい意味でとっていいんだろう。自分はどちらかというと、A型に見られるし、どちらかっていうと部屋もきちと整理整頓されてるって勝手に思い込まれるタイプなので、今のさやさんのような言葉をかけられることはほとんどないのだ。どちらかというとあんまり人のことは見ていないし、世話好きなタイプでもない。人を聖母のように包み込むスケールもないし、懸命に励ましたりするタイプでもない。だからさやさんの言葉が不思議だった。私は、初夏のクアトロのテニスコーツと作ったライブのことを思い出していた。それからラストで入ってもらったソケリッサのことも思い出した。ソケリッサと一緒に踊ってくれたテニスコーツ。幸せな時間。

帰りの電車で「LIARS」を読んだ。柳田国男は、子供の嘘は叱るなと書いていたと思う。それよりは頭の中をはみだしたイマジネーションにつきあってやれと。そんなことを思い出した。そして、虚構の持つ、人をいやす力についても「LIARS」を読んで考えた。電車を降りて階段を下りる間、私は「人でなし」とか「うそつき」とか罵られたこと、何回あったっけと思い出していた。改札にJRに乗り継ぐ切符をいれたら、切符の出口からポーンと切符が走り幅跳びしたみたいに飛び出した。熱でフラフラなのに足取りは早く、この元気はさやさんの言葉にもらったのかな、と思って、内から力があふれていくのを静かに感じていた。ふと気づくとタイツの足首には、昼間子供達とやったかくれんぼの時触れたのだろう枯れ草が、かくれんぼの続きみたいにじっとくっついている。

 かくれんぼは不思議だ。最初はみつかりたくないけれど、やがてみつけてほしくなる。そして見つかったら終わり、だ。もういいかい、まあだだよ、もういいかい、もういいよ。私たちは生まれてから死ぬまで、死神と長いかくれんぼをしているのかもしれない。その長さに心細くなったとき、zinsterの不思議な夜を思い出そう。一緒に幻を生み出せる相棒、LIARS、田んぼの音、もう会うこともない男たち、そしてひとつの言葉がどれほどの力をくれるか、ということについて、この先何度も思い返すことだろう。タイツについた枯れ草と一緒に。寂しい夜は、きっと。