FM横浜に行った日のこと
空腹をガマンできる人を羨ましくも思うし、恨めしくも思う。
空腹をガマンできる人はすべての人が「ある程度」は
空腹をガマンできると思ってそれをできない人にも強いる傾向がある。
そんなとき、我慢出来ない自分は、絶望的な気持ちで、
倒れそうになる身体を支えているしかない。
そうして、その人の空腹に耐えうる能力を力なく恨むしか術がない。
状況が許すときは、率直に空腹を訴える。
まあ大抵そのパターンだ。
去年知り合った松井一平と作った「おきば」について
音楽雑誌のインタビューを受けていた時も
松井さんは私との出会いについて
「開口一番、「おなかがすいたからどこか食べに行きませんか」と言われて
面食らった」と回想していた。
こちらはそんなことすっかり忘れていた。
あの日は、新世界での柴田聡子ちゃんとのライブのリハのあと
DJぷりぷりの自転車を借りて、
ヒカリエでやっているTAKAIYAMAの展示をみに
六本木から渋谷まで疾走してきたのだ。
お腹もへるというものだ。
先日りんりんふぇすの宣伝にFMよこはまの
北村年子さんの番組に出演させてもらった時も
私は、桜木町についた時には、すっかりお腹が空いてしまっていた。
しかし時間はすでに待ち合わせに10分ほど遅れている。
私は、眼の前にある立食いそば屋を睨みながら、
日記帳をひっぱりだして、メモした番号を眺めながら
公衆電話にテレホンカードを入れた。
そんな古臭いもの、とお思いだろうが、私は未だにテレホンカードが手放せない。
携帯を携帯しそびれたりなくしたりすることが多すぎるからだ。
この時は携帯を前日の福岡のホテルに置いてきていた。
「もしもし、北村さんですか。あのもう駅には着いたんですが、わたしお腹が減ってしまったので・・あと15分くらい遅れてもいいですか」
会ったこともない私の図々しい申し出に対し、北村さんは
一緒のゲストのソケリッサもまだ誰も来ていないし一応
来てもらったほうが安心だから、何か買ってきてくださいと
最もなことをおっしゃったので、私はそばをすすりたい気持ちを抑えて
蕎麦屋で売っていたいなりずしを2つ買って現場へと向かった。
打ち合わせ場所にはすでにソケリッサのメンバーが集まっていた。
北村さんは大層美しい方だった。しかも襲撃事件などを耳にする度に
私もずっと考えていた小中学生や高校生にホームレスのことを考えてもらいたい、
ということを実践されている方だった。
「ホームレスの問題授業づくり全国ネット」の呼びかけ人が北村さんだったのだ。
私は特にソケリッサを全国の学校で公演できるようにならないものか、とか
ビッグイシューの販売員さんが教室で話せる機会が増えないものかとか
と考えていたのだが、北村さんたちは、DVDなども作成し、教師が実際に
生徒に教えられる教材を作り、実際に教室に野宿者の人を招くという活動も
されているようだった。北村さんたちは著書も昨年だしており、
頂いたその本を読むと、ホームレス差別の問題は、いじめの構造と同じで
大多数が傍観者である、という内容が印象的だった。
収録も無事終わり、ソケリッサの4人と北村さんたちと駅に向かう。
ランドマークから駅まで続く渡り廊下のような通路は風が強くふいている。
Kさんが「寺尾さんの歌をきいているとキャロル・キングを思い出すんですよ」という。Iさんが「まーたはじまったよ」と横でにやりとする。
Kさんはイギリスに10年以上暮らしていたので英語に馴染みがある。
「そういえば、寺尾さん、大貫さんのトリビュートアレ絶対買いますよ!」とYさん。
大貫さんはよく聞いてたんですよ、というYさんは私のライブにもよく来てくれる。
それで、急にラストの曲だけ踊りで入ってもらったりということもこれまで何度かしてきた仲良しだ。今日のラジオの収録の中で、Yさんが職を失ったのが耳の病気がきっかけだったこと、自分が販売者になる前はビッグイシューの読者でもあったことを知った。
「今日はじめて色々Yさんのことわかったな」
「そうですね、今まで全然話さなかったから」
困ったときはお互い様という言葉がある。
ビッグイシューにもそんな精神が流れている。
Yさんのこれまでは正に、それを体現してきたかのようだ。
支える側が支えられる側になることもあれば
支えられていた側が支える側になることもある。
ビッグイシューを広めることは、
多くの人が傍観者でいたがるこの社会を、ほんの少し人間味のある
ましな場所にしていくことだと思う。
帰りの電車は、私とKさんだけ湘南新宿ラインで新宿にでることになった。
Kさんの家は新宿中央公園だ。
ホームで電車を待っている時、Kさんは「キャロル・キング・ミュージック」というアルバムについて、一曲ずつ解説をしてくれた。そして一番最後に
「どうだろうか、私、これを日本語訳してみたのだけど、寺尾さんよかったらどれか歌ってみてくれないだろうか」
と控えめに言った。
好きに言葉は変えてもらっていいとのことだったので
OKした。電車では座って、イギリスでの生活やその前の話なんかを聞いた。
Kさんはそもそも、パチンコの景品などになるタバコ雑貨を扱う営業をしていたそうだ。給料はよかったが、働き詰めが嫌になって、イギリスへ渡る。
向こうでは、日本の雑貨店で働いたり、
スペイン人の相棒とイタリア女をナンパしたり
フリーメイソンの儀式の手配師をしたりしていたそうだ。
かなり謎な人である。
Kさんは背が高くおっとりして話すのもゆっくりだ。
「まあ、私の人生すべて逃げてきただけなんですよ。そもそもは家でえばっていた兄から逃げ、仕事から逃げ、イギリスも骨を埋めるとこじゃないと逃げ・・」
Kさんの声がのんびり響く。車両がここちよくゆれる。
どこにでも落ちているような人生と、
ハードだけどオンリーワンの人生とどっちが幸せだろう。
「まあいろんなもんから逃げてきただけだから、最後はね、この体使いきって終わりたいと思ってるんですよ」
逃げてきた話からいきなりきりっとした口調になって、すこしどきりとする。
Kさんは65歳。販売の立ち仕事は楽ではない。
「だからソケリッサの練習ね、もう始まるまでは販売のあとだからつかれたなーっと思っていやいやはじめるんだけど、始まっちゃうとね、全然。疲れを感じないの」
体力というのは100あって100使うとなくなるものじゃないのだ。
それは気力と密接な関わりがあって、
100使ってしまっても、それに向き合えばあと50も100も湧き出てくるような何か、というのがその人にとっての生きがい、といえるのだろうと思う。
公園で手製の家に横たわってキャロル・キングを日本語訳し、日々販売し、ソケリッサの練習をし、人生の終着点を見つめるKさん。
オンリーワンの人生の後半生、素敵としかいいようがない。
ソケリッサもみられるりんりんふぇす、13日ですよ!
http://singwithyourneighbors2013.jimdo.com/