SAHO TERAO / 寺尾紗穂

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仙台・2つの震災・犀の角

 仙台ライブは大雪だった。山形や福島から向ってくれたお客さんが来られなくなって会場は少しゆったりしていたり、タクシー乗り場の長蛇の列に並んだために芯から冷えきった上、リハ無しでの本番となったけれども、会場のスタッフの方は温かなコーヒーを用意していてくださっていたし、地方だというのに綺麗に鳴るグランドピアノはあったし、PAさんも本番の音を慎重に微調整していって下さった。お客さんの中には、長年ファンでいてくれた方の他にも、学校でチラシをもらって、という女子高生や、美容院でチラシをみて音楽は普段聞かないけど気になってという人、あるいは図書館にフライヤーがおいてあってぴんときて、という人など様々だった。みんな、この日のライブをセッティングしてくれた企画者須藤さんのおかげだ。須藤さんは最初少し年配の方かと勝手に思っていたら、私より2つ上の同世代の人だった。そして、何より私が今回嬉しかったのは、私がビッグイシューを応援するりんりんふぇすなどの活動を見て、自らビッグイシュー仙台支部と連絡を取り、会場での販売をセッティングしてくれたことだ。仙台に着いて、リハまでの時間は観光に使ってもよかったし、最初は女川原発まで足を伸ばしてみようか、いや、やっぱり松島まで行ってみるべきか、とも考えた。津波のやってきた海岸に立ってみたい、という気持ちもあった。それでも雪によって麻痺し始めそうな交通のことも心配だったし、何となく須藤さんご夫妻とお昼をご一緒したいと思い、お誘いした。普段は、外で食べるといっても一人で食べることの方が多いくらいだけれども、須藤さんとは話をしてみたかった。昼食後に空くだろう会場入りまでの午後の時間は、市内の大きな図書館に行って資料でも探そう、と思った。

 「アーティストを地元に呼ぶのはChocolat&Akitoに続いて二回目」という須藤さんはおとなしそうな感じの男性で、フライヤーを制作して下さった奥さんもおっとりとした愛らしい方だった。フジロックで出会ったというお二人は、趣味を同じくしている。これからもこのように、力あわせて地元へアーティストを招いていかれるのだなと思うと、何だかとてもうらやましくなった。私たちは、時折おとずれる沈黙の「間」に、少しはにかみながら、音楽の話や本の話、それからビッグイシューの話なんかをした。須藤さんは私がどうしてりんりんふぇすのような活動をしているのか、またなぜ「評伝 川島芳子」のような著書を出しているのか、気になっているようだった。そこで話は山谷でのSさんとの出会いや、戦前や戦争の時代とアジアへの興味、さらにさかのぼって、小学校時代に知って大きな衝撃を受けた関東大震災の時の朝鮮人虐殺にも及んだ。その時、須藤さんが、話をついだ。

「自分も震災の時の朝鮮人虐殺の話はずっと知らなかったです。それがある本を読んで、やはりその震災で捕まって、のちに恩赦が出たけれど、自分はそもそも罪を犯していないといって獄中で自殺した女性のことを知ってとてもショックを受けたんです」

須藤さんが「震災」と言ったので一瞬、二年前のことかとうろたえた。90年前の「震災」の話を私たちはしていた。9月1日、全国の学校で防災訓練はしても、その混乱の中で起こったことを、学校はほとんど教えない。だから多くの人にとって「関東大震災」は大正時代の自然災害、でしかない。本当に学ぶべきことは曖昧にされて後世に伝わらない。

昼には雪が上がると言われていた空は、時折うすく太陽の輪郭をさらしたが、粉雪は休みなく降り続けた。私たちは会話が途切れると窓から雪と空を眺めた。その時奥さんが口を開いた。「そういえば3・11の時も地震のあと、こんな天気でした」

 夫妻と別れた後、10年くらい前に作られたというメディアテークという図書館へ向かった。「ぜ~んぶガラス張りだよ、あ、トイレはちゃんと隠してあるから大丈夫よ」という愉快な運転手さんと別れて、図書館のある階にエスカレーターで上った。郷土史のコーナーを覗くと新宿の中村屋の相馬黒光の伝記があって、彼女も仙台の生まれだったことを知る。それをじっくり読みたい誘惑にも駆られたが、今調べている、南洋へ移住した沖縄移民についての論文があったのでそれを読むことにする。窓際の席に座る。タクシーのおじさんの言うとおり、壁一面が大きな窓だ。街路樹を背景に粉雪が舞っている。東京が湿気のある重たい雪が「降る」のだとしたら、今降っている粉雪は「舞う」という表現がしっくりくる。踏み心地も別物だ。軽い雪は時折吹く風に舞い上げられて、ふわふわと自由で美しい。活字を追うのに疲れたら、大きなカンバスに描かれる景色を眺めてぼんやりすればいい、仙台には素敵な図書館があるものだ。

 ライブの翌朝は雪もほとんど上がっていた。その代わり、試験会場へのバスを待つ受験生の列が立体歩道橋にあふれんばかりに続いていて、通りすがりのおばさんが「この歩道橋落ちやしないかしら」と心配するほどだった。タクシー乗り場もまた昨晩のように行列ができていた。大雪に受験生。イレギュラーな仙台満喫だ。出発までそれほど時間はないから、バスにすぐ乗れて、すぐ戻ってこれるくらいのところ。選んだ輪王寺はバスで15分。伊達家にゆかりのある曹洞宗のこのお寺は、山門から境内への階段までの道が長く、小さな山に続く林を背景にしたお庭が素晴らしい。雪景色であることも手伝って、短い訪問ながらとてもよい時間を過ごすことができた(積雪が思いのほか深く、お寺の方に長靴をお借りした。まあたらしい雪の上には猫の足跡があるばかりだった)。

帰りの新幹線に乗り込んで、鶴見俊輔『思い出袋』(岩波新書)を読み始めた。これは前日ライブ前に須藤さんが下さった本だ。昼食後別れた後に買いに行って下さったらしい。つまりこれが、須藤さんに関東大震災の混乱の中で逮捕され、獄中自殺した女性を教えた本だった。女の名は金子文子。朝鮮人朴烈の恋人だった女性。22歳だった。須藤さんの受けたという衝撃の大きさに反して、この本における金子文子の記述は新書見開き1頁とちょっとであって、私はむしろそのことが須藤さんの丁寧な読み方を反映しているようで興味深く感じられた。来る時も吹雪いていた福島のあたりは、帰りもまだまだ雪が降っているようだった。私は、須藤さんの中で単なる歴史の一点であった関東大震災が、強烈な事件をよびおこした現場として鮮やかに塗り替えられたその驚きについて、本を手に考えていた。しかし、そこが福島であったために、意識は再び2年前の大震災へと移った。いかにも寒々とした福島の雪景色が新幹線の窓をすぎてゆく。ふと、地震のあとに噴出してくるのは、時代の膿のようなものなのだろうか、と思う。

 『思い出袋』は鶴見さんが『図書』という雑誌に書いた連載をまとめたもので、文学、哲学、歴史、映画、そして人物についての短いエッセイがいくつも入っている。その中に「犀のように歩め」という一文がある。

「昔読んだインド人アナンダ・クムラズワミの仏陀伝では、「汝自身に対して灯火となれ」 と釈迦は説いている。自分自身が灯火となって、自分の行く道を照らすように、と言う。これは自分の角をしるべとしてひとり歩む犀の姿を思わせる。」                                                                                

  大学の一般教養の授業で選択した仏教の授業で、色々細かいことは忘れてしまったけれど振り返って一つずしりと自分の中に残っている言葉が、「犀の角のようにただ独り歩め」という言葉だった。角は歩かない、歩くのは犀だ。でも、この言葉を聞くと、犀の視線と自分の視線とが重なる。犀が歩き始めると、視界の中に、位置を変えず、微かに一定に揺れ続ける一本の角が見える。これを自らの灯火と鶴見さんはとらえ、その灯火をたよりに自ら歩き、自らの答えを出す人間を犀に例える。

 「明治に入って国家が西欧文明を学校制度を通して日本中にひろげてから、思想はかえって平たくなった。この環境では犀を見つけることはさらにむずかしい。編集者は犀をみつけることが仕事のはずだが、実際にはその仕事の内実は、うわさの運搬である。」

 編集者に限らないと思う。何かをアウトプットする時、周りの評価や世間の常識の中でものを考え、そこからはみ出さない範疇で選択したり、答えをだすことに私たちはすっかり慣れている。その方が楽だからだ。まるでその術をうまく知っている人が、頭がよく、仕事の出来る人のようにも錯覚する。編集者として本や雑誌を作ることがそうなら、イベンターとしてイベントを生み出すことも同じだ。うわさに耳をそばだて、安全牌にうまく頼れれば、「成功」はなかば保証される。けれど鶴見さんは、うわさではなく、自らの嗅覚で発掘する、そういう姿勢を編集者に求めている。今回の須藤さんによる招聘とイベントの成功を通じて感じたのは、須藤さんが犀の角ような灯火を持っている人ではないかということだ。正直に言って、私の地方での動員力などまだまだこころもとないものだ。そしてそのあたりのことはいまやツイッターのフォロアー数を見れば大体予想できてしまうことでもある。フジロックの常連であれば、もう少し動員のできるアーティストを知っているだろうし、好きであろうし、その中から選ぶこともできたと思う。けれども須藤さんは私に十分過ぎる額を提示し、そのために自ら宣伝に図書館や美容院や音楽高校をまわってくださった。フェイスブックやツイッターでの宣伝はもちろんだけども加えてそこまで動きまわってくれたのだ。その気持ちが嬉しく、同時にその行動に敬意を覚える。すべての人にできることではない。私が犀である、ということではないし、それは問題ではない。こいつが犀だ、と信じて容易でない道を突き進むとき、犀を探そうとする人間もまた角を持って歩む一頭の犀と言える。自ら信じるものを信じとおす力、不可能を可能にする力。そこにはいつも人の心を動かす何かがあふれているのだと思う。