On the release of “Shoe Shine”
Saho Terao’s first full length solo album in two years “Shoe Shine” will be out soon on all streaming platforms, CD, and vinyl.
“Friends have died”, are the first words you hear on this album. Juxtaposed with a gently swung trumpet line, the opening track to Shoe Shine is simultaneously catchy and an empathetic exploration of collective grief from the perspective of a child. Following lead singles “Where love is hidden”, and the title track “Shoe Shine”, Shoe Shine will be released on all streaming services, CD, and vinyl in the fall of 2024.
About a year has passed since the world has entered a state of post-Covid normalcy. While many of us stared down our past selves and prevailed in the name of social distancing, looking outward revealed a world wrought by war and seemingly endless tragedies, as if we had slipped into an unfamiliar alternate timeline.
I think that in times like this, the meaningless conversations we have with our loved ones are key to guiding us home. Featuring a who’s who of Japan’s indie music scene, and more than a few old friends, the conversations Terao has on this work are filled with despair or biting rage; at other times they are so jubilant, it feels as though they are pure joy that tore through an emotional stratosphere to become song.
Lead single “Where love is hidden” maintains a slow tempo, and as Reisavuro Adachi drums and Wataru Iga’s bass (both members of Terao’s band, Fuyu ni Wakarete) build upon Terao’s sustained chords on organ, they form a groove that seems to flow through tempos without ever missing a beat. When Terao’s vocals are layered on top, it’s as though the three of them depict a universal love that takes form during an idle moment while you listen to the song. It is a song filled with a candid grace, one that could only be written at this moment in time.
The everyday despairs of people trying their best to get through life, as depicted in songs such as “Shoe Shine” and “Good Evening Mr. Moon” can be changed to hope, so long as we continue to move forward. That sentiment is one that must live on in us today. As Terao heads across Asia on tour, I’m sure each show will be something of a “meaningless conversation” with her. In each and every song, we will find one another - and perhaps we’ll be on a journey to find where love is hidden.
Release Info
Saho Terao「Shoe Shine」
KHGCD-004
KHGLP-004
Release:To Be Announced
Production・Selling agency:Korogisha
Seller:PCI MUSIC INC.、ToyoKasei Co., Ltd.
- Shoe Shine (MV)
- Something like Hope
- Where our Spirits go
- My Sister, the Bones
- While Sorrow is still Sorrow
- Spring Pastures
- With the Sun to your Back
- A Confession
- Where love is hidden (MV)
- Good Evening Mr. Moon
〈Participating musicians〉
Wataru Iga・Reisavulo Adachi・Mahito the People
Aki Takayama・Hiroki Takeda・Hiroki Ishio・Hiroyuki Yano・Daiki Yasuhara
Masabumi Sekiguchi・Santa Takahashi・Yuka Yoshino・Masatoshi Utashima
Takashi Ueno・Tatsuo Kondo
Release Info
Shoe Shine [Official Music Video]
2024.8.7
Where love is hidden [Official Music Video]
2024.5.29
Comment
武田 砂鉄
聴いている間、頭の中に波紋が見えて、それがどこまでも広がっていきました。何度も聴いて、その広がりを感じています。委ねられた、とも思いました。
折坂 悠太
「そんな筈じゃなかった」と、心臓の置き場所を探して歩きながら、目に映る景色は鮮烈で、澄んでいた。
思い返せばあの時もあの時も、私の肩には光がさしていた。
紗穂さんはあきらめていない。今日もどこかで埃をはらい、ページをめくっている。
きき逃さないように、よみ違えないように。
知らず知らず、私たちの肩にさす光をもう二度と、こぼさないように。
Tour Date
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9月21日
鎌倉
カノンハウス鎌倉
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9月29日
京都
京都府庁旧本館・正庁(2回公演)
第二部 共演:高山燦基 -
10月4日
北海道・札幌
札幌時計台ホール
-
10月5日
北海道・長沼
ポエティカ
-
10月13日
松山
愛媛県教育会館
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10月20日
滋賀
旧豊郷小学校講堂
-
11月3日
高知
yoiyo(2回公演)
-
11月9日
盛岡
岩手県公会堂 大ホール
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11月23日
笠間
笠間稲荷神社 瑞鳳閣
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12月6日
東京
サントリーホール ブルーローズ
-
12月15日
金沢
TSUBAME(2回公演)
-
12月20日
福岡
杉工場
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1月12日
北海道・浦河
浦河フレンド森の幼稚園
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1月25日
長崎
ラッセル記念館
-
1月26日
広島
HIROSHIMA CLUB QUATTRO
共演:二階堂和美 -
2月8日
名古屋
日本福音ルーテル復活教会(2回公演)
-
2月9日
長野
上田映劇
共演:君島大空 -
3月22日
宮城
杉村惇美術館大講堂
Review
Those of us living in this moment, exist only because of a series of losses. Perhaps they’re someone else’s, or perhaps they’re our own. Saho Terao’s new album Shoe Shine, vividly reminds us of this fact that we’ve taken for granted.
The title track “Shoe Shine” was inspired by the writings of young war survivors that she gathered after a performance at the Tokyo Metropolitan Memorial Hall. Through an arrangement inspired by jazz of the 1940s and the story of a young shoeshiner, Terao depicts one of the most definitive collective losses in human history.
Songs such as “Farm Song”, “A Confession” - which were written as a part of a crowdfunding campaign - and “With the Sun to your Back” - in which Terao put the lyrics a fan wrote to music - each empathetically detail different losses; each story layering upon one another like the different kinds of people who live in this modern age.
The loss described in this album is not simply absence. The loss in this album is depicted as a foundation of life - the loss becomes a completely new starting point for our existence.
Through various experiences of loss, the narrators of Terao’s songs find their existences redefined. Whether it’s reminiscing about something that’s been lost, or desperately trying to stop a loss (“While Sorrow is still Sorrow”); or the creeping feeling that you are about to lose something important to you (“Where should we go?”), Terao’s empathetic yet objective singing voice denies loss its mystique, gently leading us to the realization despite our losses, we all continue to move forward in our own ways.
Perhaps, what we discover as we move forward is “Where love is hidden”, or “Something like Hope”. Much like the moon in the Ryo Kagawa cover “Good Evening Mr. Moon”, Shoe Shine will illuminate our meandering paths through our losses. Immediately poetic and strikingly real, Shoe Shine is a work of art.
Yuji Shibasaki
Review
Interview
「拡声」としての歌
寺尾紗穂『しゅー・しゃいん』インタビュー
「戦後」の風景を今歌う理由
以前、寺尾さんにインタビューさせていただいたときに「アルバムに収録する楽曲はどのように決めているんですか?」と伺ったところ「日々生まれる楽曲を集めたものがアルバム。全体の意味やテーマ、メッセージは後から見えてくる」と、おっしゃっていましたよね。
そうですね。リリースのタイミングで取材のために出来上がった作品を聴き直すことで改めて「この作品って、こういうものなのかな」っていうイメージが固まってくるような気がします。「適当」とか「何も考えずにつくったのか」って思われそうですけど、まあできるとき全体の事は何も考えてないです(笑)。一つ一つの曲ができるときはもちろん「想い」や「意思」のようなものは最初からあって、それがインタビューなどで言語化することで全体に通底するものとして、よりはっきりとしてくるって感じです。
というのは、今回のアルバムは明確にコンセプチュアルなものだと思ったんです。なので、その寺尾さんの最初の「想い」や「意思」もかなりはっきりしたものだったのではないのかな、と。1曲目が「しゅー・しゃいん」で始まり、最後が「こんばんは お月さん」で終わりますよね。どちらの楽曲も第二次世界大戦後に日本でも生じた戦災孤児や、戦後の風景を想起させる楽曲で。
ああ、なるほど。
「しゅー・しゃいん」は、2023年10月19日に東京都慰霊堂で行われたコンサート『隅田川回向』でも歌ってらっしゃいましたね。
『隅田川回向』は関東大震災から100年目の節目に、その記憶を後世に伝え残そうというテーマで行われたイベントでした。出演するにあたって当時の資料を勉強したときに戦災孤児たちの作文に出会ったんです。かれらは戦後、最初は路上で靴磨きをして生計を立てているんですけど、数年すると孤児院のような施設に収容されて、そこで作文を書かされたみたいで。それを読んだときに、ひらがなで書かれた「しゅうしゃいん」(靴磨き)という言葉が、すごく生々しく強烈に自分の中に入ってきたんです。その体験から1曲目が生まれて、今回のアルバムのタイトルにもしました。
アルバムのラストに据えられた「こんばんは お月さん」(1974年リリースのアルバム『アウト・オブ・マインド』収録)はシンガー・ソングライターの加川良さんの楽曲です。寺尾さんはかなり以前からこの曲をカバーしていますよね。2014年にOTOTOYでリリースされた『クアトロコンサート 2014早春』にも収録されています。
最初にこの曲を歌い始めたときは、純粋に音楽的にこの曲がいいなと思ってカバーしていました。でも、あるとき、歌詞に出てくる〈ガード下〉って、橋の下のような場所と一緒で、家もなく生きた人たちが居場所にしていたところだ、ってことに気づいて。戦災孤児って孤児院に行った人もいるけれど、そこから逃げ出した子たち、逃げきった子たちもたくさんいるんです。
この曲の歌詞に出てくる酔っぱらいの青年は〈ガード下〉で〈両手両足豆だらけ〉なんだけど〈もっともっともっと恋をするんだ〉って希望を抱きながら、月に一人で語りかけていて1曲目の戦災孤児の少年が成長して、一人で生きて行こうと決意したけれど、思いもよらない人生のあれこれに直面していくという少し未来の姿なのかなと思って、アルバムの最後におきました。ライヴで演奏するときは、酔っ払った感じの声が無意識に引き出される感じがあります。素敵な曲ですよね。
この曲の作者である加川さんは2013年に寺尾さんが発起人の音楽フェス『りんりんふぇす』(路上生活者が独占的に販売する雑誌『ビッグイシュー』を応援するイベントとして2010年に開始した)に出演していますね。
『りんりんふぇす』のブッキングって結構大変で、なかなか返信をくれない人もいるんです。加川さんは即答で「はい、喜んで」って返信をくれて。外に対して開かれた、気持ちのいい方だなって思いました。そもそも、私は加川さんの音楽がすごく好きだったんです。フォークって強度の高い歌詞に対して音楽的には決まったコード進行を繰り返すものが多くて、何曲も続けて聴くとちょっと疲れてきちゃうんですけど、加川さんの曲はどういうわけか全然飽きない。
ロシアのウクライナ侵攻や、イスラエル・パレスチナ紛争、現在のアジア情勢をみていると、私たちが生きる現在は「戦前」あるいはもはや「戦中」なのではという危機感を持っている人たちは少なくないと思います。シンガー・ソングライターの折坂悠太さんが2024年にリリースしたアルバム『呪文』に収録されている「正気」という楽曲もそんな時代への危機感を孕んだ楽曲で。
しかし、冒頭でも申し上げたように、寺尾さんは「戦後」を描いた楽曲をこのアルバムの始まりと終わりに据えている。このまま時代が進んだら……という成れの果てを提示されているようで、空恐ろしい感覚と、守り繋いでいかなければならない希望のかけがえのなさを私は感じたのですが、寺尾さんの想いを伺いたいです。
日本にとってはまだ「戦後」ですが、今も世界では戦争はずっと続いていて、むしろ増えていっている。毎日、戦災孤児は生まれているんです。決して終わったことではなくて、現在進行形の事実なんだということを今、作品を通して改めて訴える意味があると思ったんです。新聞を細かくみていると、日本の各地でどんどん戦争ができる準備は進められていますよね。いくつもの漁港が軍港にできるように指定されたり、ルーツの須崎も指定港湾に入っていてショックでした。将来の「攻撃対象」になりうる場所が着実に増えている。
どこまでいったら多くの人がノーと言うのか。今はノーと言う人たちが「ほんの一部の人たち」と見なされ、戦争にいつでも入れるような社会の空気感も感じます。経験者が減り、戦争のイメージが漠然としすぎている。あらためてどれだけの苦しみが残されたのかということについては、それぞれの土地の歴史や残された戦争体験の資料を調べるところからも遡れたりします。自分の住んでいる土地は攻撃を受けたのか、受けなかったのか、それはどういう場所だったからなのか、そういうことを知ることは、自分ごと、生きている地域のこととしてとらえる一歩になる気がします。
「しゅー・しゃいん」は、2023年12月23日に上野YUKUIDO工房で行われたライヴでも歌っていますね。このライヴ前日の12月22日に日本では「防衛増備移転三原則」の運用指針が改正が発表され、以降、国内で製造する防衛装備品を海外に輸出することが可能になりました。ライヴ中に寺尾さんもこのことに触れられていたそうですね。
私、あの日のライヴの最後に「楕円の夢」(2015年リリースのアルバム『楕円の夢』収録)を歌ったんですけど、もともとあの曲の〈世界の枯れるその日まで/楕円の夢をまもりましょう〉っていうフレーズは、核戦争で世界がぼろぼろになる日もくるかもしれないというイメージから書いたんです。もっといえば、2006年ごろに書いた「魔法みたいに」(2008年リリースのアルバム『風はびゅうびゅう』収録。2024年8月現在放送中のNHKドキュメンタリー『Dear にっぽん』のテーマ曲になったが番組用に書き下ろしたため歌詞は異なる)の〈もしも二人が笑えるのなら/遠い遠い国で涙流す子の/涙の熱さを感じられるよ/握った手に〉と書いたのも、ここではないどこかで苦しみが生まれている、そのことをただ遠い場所のこととして忘れたくないという思いから書いた楽曲で。
普段日常の中でずっとそのことばかりを考えているわけじゃないけど、常に世界のどこかでは本当にひどいことが起きている、そのことはずっと自分の中の大きな考えなきゃいけないテーマとしてあるんですよね。
戦場になっていないというだけで、国際社会の一員として日本もその争いに関係していますからね。市民である我々にとっても決して他人事ではない。
関係していますよね。結局、戦争になるときって、強制的に意見が一つに集約されていくじゃないですか。個人の声は大きな政治の声にかき消されてしまう。「楕円の夢」は個人の心の在り方として、視野を広くもてたらという願いが一つの軸としてある歌ですが、同時に社会を見渡すときにも、ゼロか100か、黒か白かではなくて、その狭間の答えを探し続けなくてはいけないという思いも込めています。平和ってそういう営みからしか生まれないですよね。だから「1」に集約しようとする動きに対して抗い続けないといけないという思いも込めて「楕円の夢」の〈楕円の夢をまもりましょう〉というフレーズは書いています。このアルバムも、その流れの中に位置する作品かな。
残された「時間」について
『しゅー・しゃいん』を自分が美しい作品だなと思うのは、今お話しいただいた、絶えず世界中で起こり続けている戦争への警鐘というテーマが一つ軸としてありつつ、様々な人と人を取り巻くものの生と死の有り様が歌になっているところで。収録されている曲同士が響き合って「祈り」として機能していると思うんです。1曲ずつお話を伺っていけたらと思うのですが、まずは「希望に似たもの」。この曲はどのようにしてできたのでしょうか?
この曲は高知県の須崎に行ったときにできたんです。須崎の海岸って、ピンポン玉くらいの丸っこい小石でできている小石の浜なんですよ。ガラスの破片とかも落ちているんだけれど、波に洗われて滑らかになっている。人の肌を切り裂くような危険なものの角が取れて、美しいものになっているということに希望を感じたんです。歳をとること、時間がすぎていくということが、そんなふうであればいいなというイメージでこの曲は書きました。
歳をとってもトゲトゲしていて辛いのは嫌じゃないですか(笑)? 創作にとってはいいのかもしれないけれど……。波に洗われるガラス片のように、生きていく中で様々なものにぶつかって変化するのが人間で。歳をとることでしかわからない感覚、プラスに向かう何かがあってほしいなっていう思いを歌にしました。
この曲の語り手って〈この町をでるよ〉と、大きな決断をしているんだけれど、全体的に自信がなさそうな様子ですよね。でもなんとかして〈希望に似たもの〉を見つけようとしている。その青臭くて、後ろ向きな必死さにグッときました。語り手が、何かを知っているかのような遠いまなざしを持つ〈lonely girl(さびしげな少女)〉に語りかけているという構造になっているじゃないですか。こういう形にしたのはなぜなんでしょうか?
たしかに自信なさげですよね(笑)。語り手が少女に話しかけている構成にしたのは、私の個人的な考えですけど、男性って自分の思っていることを口に出さずに抱え込む人が多い気がするんですね。だからこそ、パートナーの存在っていうのが大切で、その人にだけは多くを話すことができるんじゃないかな、と。
それと、もう一つは映画『モモ』に出てくる主人公のモモのイメージです。原作は『はてしない物語』などの作品を書いたドイツの児童文学作家、ミヒャエル・エンデの小説ですけど、私は1986年に公開された映画を幼少期に先に観ていてその印象も大きいです。モモは全然喋らない。彼女は人の語りを静かに聞くんです。
バカみたいな質問で恐縮なんですが、黙って人の話を聞くことって、寺尾さんはやはり大切なことだと思いますか?
言葉にしようとすることも大事だとは思いますけど、私にとって沈黙はより自分に近しい、大切なものです。相手の話を聞いて、何らかの返答をする場合でも、自分なりの考えをまとめる時間もそれなりに必要で、なめらかな対話というのがだから私はあまり得意ではないです。だから対談は後悔ばかりしていますね。言葉って、時と場合によっては余計なものだと思うんです。例えば、こんがらがってしまったことや、成すすべがない状況を前にして、誰かに寄り添うときとか。ただ何も言わず、一緒にいることが必要とされている瞬間って結構あると思うんですよね。
ああ、たしかに。自分もインタビューをしていると時間も限られているし矢継ぎ早に質問をしたくなるんですが、沈黙の時間に耐えたときの方が、取材対象者の方が正直な気持ちをお話ししてくださるというケースも多くて……。
そうですよね。自分自身、何かを感じたときに言葉にせず、心に溜まっていったものの方が詩になるケースは多いです。
次の「ゴールはどこだい」には〈カシオペアも泳ぐよ〉という一節がありますけど、先ほどのお話にあった『モモ』にもほんの少し先の未来が見える亀・カシオペイヤが出てきますね。そんなリンクも感じつつ……この曲の〈カシオペア〉は、晩夏から秋冬にかけて特にはっきりと見える星座・カシオペア座のことですよね。
そうです、星座です(笑)。冒頭の歌詞は実体験です。どこか旅先から帰ってきたときに夜空を見上げたらカシオペア座が光っていて、綺麗だなと思って書きました。曲全体のテーマとしては……〈僕らの時間は少ないと/誰かみんなに伝えてくれよ〉という歌詞のように、私は昔から時が過ぎてしまって、大切な人と会えなくなることへの不安っていうのが常にあったんです。
幼い頃に埼玉の祖父母の家に遊びに行った帰りに、手を振って見送ってくれる二人の姿を眺めながら「もしかしたら、もう会うことはできないのかも」って悲しくなった記憶があったりして。日常って、ずっと続いていくように思えますけど、ある日、突然崩れたり、途切れたりするじゃないですか? 普段は気づかないけれど、本当は時間が無いのではっていう歌です。
この曲は、2023年4月23日に行われた明治神宮外苑地区再開発に抗議する集会『Demonstration with Ryuichi Sakamoto』でも歌ってらして。社会批判的な側面もある楽曲なのかなとも思ったんです。「目指しているゴールを見直せ」というような。
ああ、たしかに。人生のゴールって人それぞれにあると思うんだけど、「それが本当にあなたの目指すゴールですか?」っていうメッセージとしても響く曲かもしれませんね。個人への問いでもあるけど、それが重なっていくと、社会全体としてどういう答えを出していくのか、というところにはつながりますしね。
ゴールを決めることや再設定することって、非常に難しいものだと思うんです。逃れようと思っても、やはり規範やルールにとらわれてしまう。物質的なものは数量化しやすいから、幸福の価値判断の基準として重視されるし。つまり、個人で言えば、会社に勤めて、副業もやって、どんどんお金を儲けて、一姫二太郎、おじいちゃん・おばあさん・お母さん・お父さんのいる家庭で……というような規範的な幸せの形を追い求め、そこから外れると落伍者になる。そうではない自分なりのゴールの見つけ方もあるんじゃないかな、と、この曲を聞いて自分は思いました。
そうですよね。どうしたって規範には縛られますよね。今の社会って、お金を稼ぐこととか権力を持つことに過剰に意味が付与されていて、それを獲得する競争をサバイブできたものが勝者であるっていう価値観で来ましたよね。本当は自分自身も含めて人間や社会、文化や伝統……すべてのものはうつろって変化していくものなんだって捉えられたら、楽になるんじゃないかなとは思います。
でも、やっぱりまだまだシステムって固定化していて、その仕組みの中で生きている人も多いから、他人との比較がどうしても生まれて悩む人も多い。ただ、それでも人や社会は変わることができるんじゃないか……って思いを込めて、この曲は書きました。〈ゴールはどこだい 魂の〉というところにマヒトゥ(・ザ・ピーポー)がすごく共鳴してくれて参加してもらった曲でもありますね。
「他者」を赦すこと、関わること
『しゅー・しゃいん』にはクラウドファンディングのリターンとして書かれた楽曲も収録されていますね。「骨の姉さん」「まきばのうた」「太陽を背に」「ある告白」の4曲。依頼者の方とのやりとりを経て書かれた、これらの楽曲には今を生きる人間の生々しい感情と生き様が記録されています。「骨の姉さん」は、お姉さんを亡くした方からの依頼だったそうですね。
依頼者の方からは「骨の色と“骨”という言葉をつかって、曲にしてください」とリクエストがありました。いただいたメッセージにはお姉さんと生前仲が悪かったこと、介護と看取りをしたこと、火葬された後に残った骨の色が桜色だったこと、お姉さんが青いワンピース姿で夢に出てきたことなどが書かれていました。なので、ほとんどそのままですね(笑)。
自分としては特に「骨が桜色だった」という描写が印象的だったので〈なぜか桜色してた 姐さんの骨〉〈きれいな桜色 姉さんの骨〉という歌詞を書きました。この曲はライヴでやると、ほぼ確実に終わった後、お客さんから「あの曲が入ったCDが欲しいです」って言われますね。
赦しの歌であることが聴く人の心に刺さる理由になっていると自分は思います。
「生きている間に許せなかった」とか「優しくしてあげられなかった」って後悔する残された人の話を聞くこともあるんですけど、憎んでいた人が死んだことで許せるんだったら、ある意味、全然いいですよね。死んでも絶対に許せない場合だってあると思うから。
私の場合は、父に強い憎しみを向けていたわけではないので「許した」って感覚ではないんですけど、複雑なこんがらがった感情を抱いていた父が亡くなったことで、精神的にはすごく軽くなって……。そういう自分の体験も少しはこの曲に反映されているかもしれないです。
この曲には〈小さなころの思い出は/消えやしないさ いつまでも〉という一節がありますけど、こどもの頃の思い出に立ち還ることで、こじれた関係をリセットできるのではという希望が提示されているように思いました。
『余白のメロディ』(2022年リリースのアルバム)に収録されている「僕の片割れ」という曲も、同じような身近な人この曲の場合は親ですがを許せるかというテーマで書いたんですけど。家族への想いって本当に幼い頃って、どんな人でも純粋で素直で自然なものだと思うんですよね。それがまっすぐに受け止めてもらえなかったりすると、成長する過程でさまざまなことが起きて、こじれてしまう。
嫌なことや悪いことが重なると純粋だった頃に立ち戻ることって、すごく難しいと思うんですけど、でも、やっぱり自分の幼い頃はそうであっただろう、という関係性の原点に戻れたら許すことができるのでは……という願いが「骨の姉さん」のそのフレーズにも込められています。
音楽ガイドメディア『Mikiki』に掲載された『余白のメロディ』のインタビューを担当させていただいた際に収録楽曲「歌の生まれる場所」の〈歌の彼方 耳に届くざわめき/気づかぬふりはしない〉という一節に関して、「なぜ〈気づかぬふりはしない〉という強い決意を記したのか?」という質問をしたら、寺尾さんは「すべてを見ることはできないから、見ないっていう選択肢は私にはないですね。目に入ったもの、縁のできたもの、聞こえてきたものに関わっていく。私は、そうやって生きていくってことなのかもしれません。たしかに〈歌の生まれる場所まで一緒にあるこう〉とか、お節介ですよね(笑)」と、答えてくださって。
ああ、なんとなく覚えてます。
『しゅー・しゃいん』という作品でも、他者を尊重をしながら積極的に関わっていく寺尾さんのスタンスが描かれていると思ったんです。自分自身、インタビュアーという職業柄、困っている方からの真剣な相談を受けることも多々あって、どうしようか迷うことも多いんですが、寺尾さんの音楽や著書からは、ほんの少しだけ踏み込んだ手助けをすることの勇気をもらえます。
なるほど。作品の話からは少しズレるかもしれませんが、私の場合だと…以前『原発労働者』(2015年に講談社現代新書から発刊された寺尾による原発労働者の証言集)の取材で協力してもらった、船橋に住む元・原発労働者のおじさんから「障害年金を取りたい」という連絡が最近あって。社労士さんと連絡をとりながら、少しお手伝いをしようと思っています。 以前、取材をさせていただいたという恩もあるし、自分が「ちょっと無理だな」って思うところまでは関わろうかなと。
どこにも属していない・何にも縛られていない個人だからこそ、一人の人間として困っている人に向き合って手伝えることがある、と。
支援団体の方々は大勢のケースを相手にしていますし、「これ以上は関わりません」っていう線引きを明確にしてる場合も多いですね。自分自身の生活を守るためにも、すべてを受けるわけにはいかない。でも、私みたいに一人の知人のケースを前に、個人で動く人間の場合は「どこまで手伝うか」っていうのはそれぞれの考え方次第で。他じゃ断られたけどということも、それくらいならやれますよ、と。そういう関わり方があってもいいんじゃないかな……と思ってますね。
「こども」の声に拡声器を
「悲しみが悲しみであるうちに」について聞かせてください。この曲ではエレクトリックピアノとチェロ、トランペットが使われていて。ドラム・ベースレスではありますが、ソウルナンバーとも言っていいサウンドの楽曲です。〈検索しても検索してもわからないの/僕のかなしみ/あの子の涙〉という歌詞が切なく諧謔的に響きます。
ニュースでウクライナの少年とお母さんのインタビューを観たんです。彼は戦争が始まった頃は、「戦争の止め方」をずっとネットで検索していたらしいんだけれど「最近は武器を持って戦うんだって言い始めてしまいました」って悲しそうにお母さんが答えていて。その衝撃からできた曲ですね。 この曲で私はローズ・ピアノを弾いているんですけれど、電気で音を増幅している楽器なこともあって、ピアノよりもデジタルな表現になるんですね。耳に心地いいあたたかい音ではあるんですが。曲の終盤に関口(将史)くんがチェロでばーっと盛り上げた直後にフッといなくなって、ローズだけになるセクションがあります。今、人が血を流している戦地とそこから離れた場所でPCや携帯で検索ばかりしている私たちの平和な日常との落差を音楽的に表したいと思いました。
〈とぎれそうな歌に/もっと沢山/もっと沢山の/拡声器をください〉というフレーズは、寺尾さんが以前から標榜している「歌のあるところに希望がうまれる」という言葉とも響きあいますね。
そうですね。音楽もそうですけど、聞き書きの活動とかも突き詰めればそういう拡声器で声を世界に伝えるっていう意識が常にあります。しかし……これだけテクノロジーは発展しているのに、戦争が起きている現地のこどもたちの声が世界に届かない現状って一体なんなんでしょうね? というか、こどもたちの言葉に、もっと世界中の大人たちが心を震わせられるような経験がないといけないと思うんですよ。そういう声を拾う人はいても、それがより効果的により広く広まるためにはどうしたらいいのか、知恵を絞らないといけないですよね。
揚げ足をとるようで申し訳ないんですけど、こどもたちの声を拾い上げなければならないという寺尾さんの意見には賛同しつつも、こどもをそこまで信用できる理由はなぜなんでしょうか? 自分にはこどもがいないので、自分の少年時代の記憶や体験しかリファレンスがないんですが、こどもって大人の顔色を読むし、悪の部分も持ち合わせた存在だと思うんですよね。
うーん、でも、こどもの暴力性とか残酷性って、今「大人の顔色を読む」っておっしゃったように、大人の真似をしているだけなんじゃないかなと思うんですよね。親の態度や言葉遣いというのを子供はかなり影響を受けますしね。虫を殺したりとか、小さな生き物に残酷なことをしたりするのは、多くの人が経験あるとおもいますが、命に対する興味関心や学習の過程な気もして。
もちろん“危うさ”みたいなものをこどもが持っていることはわかるんですけど。でも、小学校高学年ぐらいになって、人の気持ちも理解できるようになったときに「なんか間違っている気がするな」とか「こっちの方がいい気がする」っていう純粋な直感で物事の善悪を判断する、こどものまっすぐな聡明さを私は信頼したいなって思うんですよね。
ああ、なるほど。大人になる前の極々短い期間にこどもが持つスーパーパワーのような……。
スーパーパワーっていうのかな。中学生ぐらいになると、人間関係におけるパワーバランスとか政治とかを意識するようになって、必要悪みたいな「本当は正しくないと思うんだけど、目立ちたくないからだまっとこう」みたいな打算とか諦念も身につき始めちゃう。善悪の判断基準や直感が濁るんですよね。やっぱり大人になると知識も増えるし、いろんな言い訳や保身ができるようになるじゃないですか。もちろんそれで理性的な決断ができるようにもなるんだとは思うんだけど、すごく大きなものを失くしているんじゃないかなとも思うんです。
様々な人の「生き様」
「まきばのうた」も、クラウドファンディングの返礼品として書かれた曲だそうですね。北海道浦河郡浦河町上絵笛にある軽種馬牧場「高村牧場」の高村はるかさんが依頼者とのこと。『北海道新聞』(2023年8月4日)の記事には、高村さんの言葉として「馬との出会いや別れを受け入れる道で、希望や寂しさ、いろんな思いがこみ上げる。そんなしみじみした思いを歌で表現してもらいたかった」と、あります。
クラウドファンディングで個人から依頼を受けて曲をつくるプロセスの素晴らしい点は、依頼者の方とのやり取りの中で、自分が知りもしなかったことに深く向き合うことができるんです。この曲には〈あふれ みちるよ 四月の声が〉というフレーズが出てくるんですけど、牧場の四月って、私たちのイメージでは新しい命が生まれて、文字通り牧歌的な風景を思い浮かべるじゃないですか? でも、実際は死産も同じぐらいあって。「喜びと悲しみが同時にやってくる季節なんです」って、高村さんはおっしゃっていました。
この曲は牧場の前を走る「道」が題材になっているんですが、この道は生と死、出会いと別れが交差する場所なんだそうです。仔馬が無事に成長して市場に売りに出しに行くときはもちろんその道を通りますし、死んでしまった仔馬もまたその道を通って運ばれていく。牧場で働く人々にとっては、いろんなエモーショナルな思い出が引き出される場所であると。
「道」をモチーフに馬と人との営みを歌った歌ですが、寺尾さんの静謐な声で歌われる〈与え 受け取り 愛し そして別れ〉という一節を聴くと、人生そのものを描いた曲にも思えます。
ああ、たしかに。そのフレーズは牧場の人たちと馬との関係を考えた結果、出てきたものなんですけど、人と人との関係、愛のやり取りそのものを指し示していますよね。限りある人生の中で誰かと深く向き合う上でのスタンスみたいなものを描いているとも言えるかも。新たな発見ですね(笑)。
「次の「太陽を背に」も同じく返礼品として書かれた楽曲で。まず作詞を担当していらっしゃる、金丸稔さんについて伺いたいんですけど。この方はどなたなんでしょうか?
この方が依頼者なんです。ご自分でアルバム一枚分ほどの歌詞を書かれていて、まず、それを全部見せていただいたんです。その中から「これがいいな」と選んで、曲をつけました。自己と向き合うような歌詞ですけど〈踊る影帽子は私〉みたいな洒落た言葉選びが素敵ですよね。
アルバムというフォーマットを想定して歌詞を書いているということですよね。創造的な面白いことをしてらっしゃる方がいるものですね……。この曲は人生哲学のようなものが、太陽を背に歩く人の姿をモチーフに描かれている楽曲ですね。「太陽」は人生における何か輝かしいもののメタファーなのかな、と。
そうそう。〈太陽を背に歩く〉というフレーズが何度も出てきますが、人って最初はみんな「太陽」に向かって歩いているんだと思うんですよ。でも、人生半ばからその太陽の位置が自分の背後に周る。そういう後半生のあり方を描いた歌詞だなと私は思って。若いときのように光がさす方を目指すんじゃなくて、年をとるとその光に背中を押してもらうようになるこの悟りを開き始めている年齢の重ね方が心地よいなと思ったんです。
人生の薄暗い部分もしっかりと描かれていて、〈自分の影を踏みながら/遠くに逃げていかぬよう/自分と離れていかぬよう〉という一節がありますけど〈逃げ〉ようとしているのは、影なのか、それとも自分なのか。きっとどちらも〈逃げ〉ようとしてるんでしょう。だからこそ、そうならないように、と決意している。そうした人生の〈暗闇とやりきれなさ〉も受け入れようとしている姿が美しいと思います。
サウンドも相まって、修験者あるいは不器用な生き方をする人が孤独に、しかし意志をもって荒野を歩いている姿が想起されました。
たしかに言われてみたら、仏教の〈犀の角のようにただ独り歩め〉というブッダの言葉を思い起こさせるような修行者っぽいイメージがありますね(笑)。でも、この曲の語り手は、ある意味で「勝者」なのかもしれない。人生の意味がわかっている気がするから。
この曲ではヴィーナというインドの楽器が使われていますが、その辺りも楽曲のテーマと関係があるんでしょうか?
いや、直感です(笑)。最初は曲の雰囲気にシタールが合うかなと考えていたんですけど、歌さん(歌島昌智。音楽家、民族楽器奏者。『余白のメロディ』を始めとした寺尾の作品に多数参加している)が「シタールは弾けないけど、これなんかどうですか?」と、勧めてくれて。いい音ですよね。年始の時期にレコーディングしていたんですけど、この楽器ってヘッドに龍の飾りがついていて、歌さんには「そういえば今年(2024年)は辰年だし、冴えてますね」と言われました(笑)。
「ある告白」は、離婚したパートナーへの抑えきれない想いを男性の視点から歌った曲で。これもクラウドファンディングの返礼品として書かれた楽曲ですね。
この曲をライブで初めてやるってなったときに、その依頼者の方、元パートナーの方も連れてきてくれたんですよ。離婚はしたけれど、風邪をひいたときは看病にきてくれるような悪くない関係性を保っているみたいで……。
え?! それはスゴい勇気ですね。結果はどうなったんですか?
「もしかしたら、曲を聴いて思い直してくれるかも……」みたいな淡い期待があったのかもしれないですけれど、女の人は一度決心したことはなかなか覆しませんからね……(笑)。でも、後からライブの感想を聞いたら依頼者の方は「踏ん切りがつきました」っておっしゃってくれたので、私もこういう形でかかわれてよかったなと思いました。
この曲の素敵なところって、理性ではどうにもならないひたむきさを描いているところだと思うんです。語り手はもう絶対に元の関係には戻れないとわかっているんだけど、それでも〈君が好きだと〉言わずにいられない、だから〈心で言うよ 何度でも言うよ〉なんだな、と。
そう。見方によっては「うじうじしている」とか「未練たらしい」って思う人もいるかもしれないんだけど、私は「それでも、やっぱり好きなんだ」っていうピュアな感情が美しいなと思って書いたんです。私自身、離婚を経験していますけど、女の人って離婚をすると「前に進むぞ」ってリセットされたような気持ちになる。引きづらない。親友に全部話して励ましてもらったりして。でも、男性はプライベートを打ち明けられる友達もいなかったりすると、思いをひきずる人も多い。感情を理性で割り切れない様子が、いじらしく思えるんです。後悔まじりのそれでも、っていう告白は、なかなか胸をうつものがあるなと、つくってみて感じました。
薄れる「記憶」の成れの果て
寺尾さんは、2023年に『日本人が移民だったころ』(2023年/河出書房新社)という元引揚者の方の証言を集めたルポルタージュを上梓しています。この本のまえがきに寺尾さんは「私たちが過去を知ろうとして、テレビ番組や本などの情報から学ぶとき、それがわかりやすいものであるほど、まるで戦前と戦後は180度違う時代のように描かれ、教科書的な表層の理解にとどまってしまう。けれど、個人の人生は厳然と連続しており、その中に戦前と戦後をつなぐ経験が凝縮され、一人一人の感情がその上に形作られている」と書いていますが、このアルバムと強く響き合う一節だと思うんです。
戦争の記憶ってやっぱり圧倒的に世代が下れば下るほど、遠いものになっていますよね。当時を経験した人の「語り」って当たり前ですけど失われていくから。終戦記念日がいつなのかを言えない人がいたり、「南京虐殺はなかった」とか「日本はアジアを解放した」みたいなウェブのまとめサイトや動画で知った言説をそのまま信じ込んでしまう人がいるのも当然ですよね。だからこそ、私は「語り」を集めなければならないと思って『日本人が~』のような本を出版したり、今回の『しゅー・しゃいん』のような作品をつくったりしているんですけど。
苛烈な時代のうねりの中で、血を流して死んでいった人たちや、様々な想いを抱えながら生き抜いた人たちのことを今一度、知って考えなければならない時代になってきたなと思います。
戦災孤児の方々の苦しみって、路上生活をしていた数年で終わったわけじゃないんですよね。「家族を亡くした」っていう辛い記憶が死ぬまであったはずで。調べてみると、戦災孤児だったという過去を伏せていた人も多くて、記録されない経験がどれほど多かったのか、とも思います。
詩人の宗左近さんという方の詩集に『炎える母』(1967年/彌生書房)という作品があって。宗さんは東京大空襲でお母さんを亡くしているんです。転倒して火に包まれるお母さんから「行け、走り抜けなさい、わたしにかまうな」と言われて逃げたということを、宗さんは戦争が終わった後もずっと引きずっていた。『炎える母』の献辞で宗さんは、その詩集を〈燃えやまない/あなたとわたしを/もろともに〉葬るための「墓」だと喩えていて。つまり炎に包まれていたのは母だけじゃなくて、自分もなんだと。生き延びた宗さんを焼き続けた炎っていうのは、後悔や慚愧の念だったんでしょう。
宗さんのように戦争が終わった後も辛い記憶を抱え込んでいたっていう人ってたくさんいたんだろうし、なんなら今もいるわけですよね。知ろうとしなければ、そういう人たちがいたということは意識に上ることはない。
自分はこどもの頃、兄や親族を戦争で亡くした祖父がポツポツと語る戦中の記憶を聞いたりして大きなショックを受けた記憶があるんですけど、そういう生の「語り」が遠いものになっていくことで、失われる「絶対に戦争を繰り返してはいけない」という想いや、逆に増していく戦争に対するロマンティシズムってあるよなって思うんですよね。
友人から聞いたんですけど、戦後の上野駅に戦災孤児がバーっと並んで寝ているような写真をSNSにアップロードしたら、若い人から「これは日本の写真じゃないだろ。こどもたちが路上で寝てるのを日本人だったらほっとくはずがない」ってリプライが飛んできたんですって。なんかでも、そう言っちゃう若い子の感覚もわかるんですよね。戦争の記憶が遠くなっているっていうこともそうだと思うけれど、少子化がどんどん進んで、こどもって昔よりも過剰に大切に育てられている気がするし、かつて日本でこどもがそんな残酷な扱いを受けていたってことを想像もできないのは当然なんだろうなって。
ちょっと話はズレますけど、寺尾さん自身、3人の娘さんを育ててこられたわけじゃないですか? そういう過剰に守られたこどもたちが増えているっていうのは、実感としてあります?
すごく感じますね。10年前でもこどもを公園で遊ばせていると「木登りは怪我するからしちゃダメ」とか「砂場では靴を脱いじゃダメ」って目くじらを立てている親の姿も見かけましたし。その家の教育方針があるから、別にとやかくいう気はないんだけれど「ダメ」って言われたこどもたちって、娘たちが裸足になってどろんこで遊んでいると「お砂場で靴履かなきゃダメなんだよ!」って注意してきたりするんです。その子がそのまま同じような親になるのかな、と悲しくなります。
さっきの戦災孤児が日本にいたことを信じられない若者の話ともリンクするところがあるというか、非常に示唆的なお話ですよね。かれらが大人になったときのことを考えると……。
私は結構、本気で危ないなって思うんですよ。素足で砂や泥に触れたり、木にしがみつくことで、恐怖心も含めた世界に対する全体的な感覚が芽生えると思うので。自然と自分は一続きの存在なんだというような。「ただ眺めるだけの風景」として世界を認識したまま大人になると、自然を人間の都合のいいものとしてしか捉えられなくなっちゃう。そりゃ「神宮外苑の開発計画で緑が減るというのは誤情報で、上空から見たときにはむしろ緑被率は増えます」みたいなことをいう人も出てくるわけですよ。ビルの段々に移動可能な植木を敷き詰めて「ほら緑、増えたでしょ?」って……そんなバカな話、全然本質的じゃないですよね。
「愛」のありかを探そう
最後に「愛のありか」について聞かせてください。この曲は『しゅー・しゃいん』のハイライトあるいはクライマックスとも言える意味深い楽曲だと思います。まず、どのようにしてこの曲は生まれたのでしょうか?
ここ数年、どんどん世界では争いが激しくなっていて、終息する気配がなく、どうにもならない息苦しさのようなものを感じていたんです。この曲の冒頭のフレーズは皿洗いをしているときに出てきました。日本、特に東京の基地のない都市で暮らしていると、普段は戦争の「せ」の字も意識しないで暮らすことができちゃう。でも、地球を上空から見てみたら、黒い雲に覆われているんじゃないかなってイメージが浮かんできて……〈ここはまだ/黒い雲の下さ/何も変わらず/涙の雨が降る〉っていう部分は、そのことですね。
〈ひそやかに/愛のありかを/口ずさんだ/君の歌に/今も 魅せられてるよ〉という冒頭のヴァースが静謐かつ切実で胸に突き刺さったのですが、〈愛を/口ずさんだ〉ではなく〈愛のありかを/口ずさんだ〉としたのはなぜなんでしょうか?
「愛」ってすごくよく使われる言葉ですけど、本当の意味での愛って、どこまでいっても辿り着けないような深いものだと思うんです。簡単に人が到達できる領域にない。きっとみんな愛というものがあることは知っていても愛のありかがどこにあるのかを探そうとしてもいないから、争いは止まないんだろうなって思って。みんなが愛のありかを探そうと思うだけで、世界の風景は全然違うものになると思うんですよね。狭義での愛という言葉を乱発して都合よく使っていたのでは、争いはなくならない。簡単にたどり着けないものとしての愛のありかをみなが求め続けるとき、平和というものの端緒が見えてくるのかなと思っています。
寺尾さんはこれまでも「愛」がタイトルに入った楽曲をいくつかリリースされていますよね。例えば『楕円の夢』に収録されている「愛よ届け」は〈愛よ届け/あなたが私を忘れる日にも/あなたのひだまりへ/一番に飛んでゆけ〉と、愛に希望を込めている。2009年リリースのアルバム『愛の秘密』のタイトルトラック「愛の秘密」は〈私はあんまり見失う 私を/だから教えて/愛の秘密を〉と、愛は「答え」の役割を担っている。
「愛」にはいろんな深度があると思うんです。「愛よ届け」の愛は、自分中心のエゴをクリアできている愛なのかな。自分を離れて行って忘れている人にも愛が届けばいいなと思っている。「愛のありか」と「愛の秘密」における愛は少し近しいところがあると思います。「愛の秘密」は、長女が生まれたときに書いた曲なんですけど、生まれたばかりの子が手を握ったり開いたりしている様子をみたときに「この赤ん坊が何かを知っているんだろうな」って、そういう直感でできた曲ですね。
性愛・情念的な「愛」を寺尾さんが描くときは、むしろそれとは直接的には関連しない言葉に想いを託してらっしゃるイメージがあります。例えば「骨壷」(2010年リリースのアルバム『残照』収録)のような曲とか。寺尾さんが用いる「愛」は「アガペー」に概念的には近いのかなって思うのですが。
ああ、なるほど。以前、マヒトゥとイ・ランと、butajiと私で写真家の植本一子さんの家で集まったことがあったんですよ。そのときに「愛を歌える人と歌えない人がいるのはなぜか?」って話になったんですね。その場にはいなかったけれど、折坂くんの話も話題にあがって。butajiと折坂くんは割とストレートに愛を歌う。けど、マヒトゥとイ・ランはそういう曲は書かない。「同じ歌をつくる人間なのに違いが出るのは、なぜなんだろう?」って話題で盛り上がったんです(笑)。
めちゃくちゃ面白そうな話だ……。
そのときに私もたしかに直接的なラブソングはあまりつくってこなかったな、って思って。私の場合はさっきも言ったように、目指すべきもの、それこそ「ありか」を探すものとして、愛があるんですよ。到達できるかできないかもわからないけれど、探さなくちゃいけないって想いを駆り立てるような。ある種の謎や秘密として、私は愛を捉えているんだと思います。
過去に死に・生き・苦しんだ人々の声と「歴史」を繋ぐ
ここまで横道にそれたりもしつつ、アルバム全曲を振り返ってきましたが、ご自身としては『しゅー・しゃいん』はどんなアルバムになったと思いますか?
改めて聴いたら「地味かな」って思ったんですけど……大丈夫ですかね(笑)?
え、地味?! どういうことですか?
クラウドファンディングの返礼品としてつくった曲が多く入っているので、一対一で向き合った濃度の濃い楽曲が収録されているとは思うんですけど、その向き合っている感じを大切にしたくてアレンジはごくごくシンプルな形に留めているので、音楽的なスリリングさとか、華やかさ、ノリの良さを求める人には退屈かもなと。
おじさん……というか男の人が語り手になっている曲ばっかりだし。「まきばのうた」ぐらいじゃないですか、おじさんが主人公じゃないの。おじさんと馬のアルバム……なんでこうなっちゃったのか。こうして改めて振り返ってみて「こんなアルバムだったっけ?」って、ビックリしました(笑)。
メロディと言葉の持つ力が生々しく伝わってくるビートレスな曲が多いだけに音楽的には非常に緊張感のある作品だと思いました。作品全体のテーマも今発表するべきだという強い意思を感じて。いつもの寺尾さんの作品よりも一歩踏み込んで時代にコミットしようとしているな、と。
ああ、そうですか。だったら、よかったのかな(笑)。テーマ的にはたしかにそうですよね。「戦災孤児」って聞くとピンとこない人も多いぐらい、私たちにとっては遠い過去の話ではあるんですけど、ガザやウクライナのことがリンクするタイミングになりました。東京にいると実感ないですけど、北海道や宮崎、鹿児島、沖縄では弾薬庫の整備が行われていたり、南西諸島では基地化がどんどん進んでいる。そういう地域に住んでいる人たちにとっては、のっぴきならない切実な状況になってきていますよね。与那国島とか那覇では有事を想定した避難訓練も行われているというし。
本当に戦前や戦中と似たような状況というよりも“そのもの”の状況になってきている。
三上智恵さんっていう「沖縄と戦争」をテーマに映画を撮っているジャーナリストの方がいるんですけど、彼女が著書の中で「こうした訓練というのは、戦前のバケツリレーと一緒で実際の事態にどれだけ役に立つかではなく、人々を上からの命令に迅速に従わせるようにするためのものだ」というような趣旨のことを書いていらして。国は訓練を通して命令に従わせるための心構えをさせつつ、従わない人間を炙りだしているのだと。
『しゅー・しゃいん』は、まさにそんな今現実に起きている非常事態と、過去に死に・生き・苦しんだ人々の声と歴史をつなぎ、今を生きる人々の生のありようを描いた作品だと思います。
歴史って知識や情報を取り入れただけで、知ってわかった気になっちゃうんですけど、当時の人の声とか気持ちとか本当に大切なことは一歩踏み込まないと知ることができない。そこまでちゃんと知らないと「学び」や「反省」を得ることはできないと思うんですよ。戦争で亡くなった人々の想い、そして、生き残った人たちが長い年月の中で苦しんだという事実、そういう諸々が今という時代に繋がっているんだっていうことも、この作品を通して少しでも伝わったらいいなっていうのは思っています。
失われたものと、今も続く苦しみへの「責任」を意識させられます。
そうですね。以前、広島で戦災孤児だったおじいさんに話を聞いたんですけど、その人は「当時は食料が全然なかったから、孤児たちは柔らかいものならなんでも食べた」って言ってたんです。誰かが投げ捨てた新聞紙に、孤児たちがわーっと群がってむさぼっていたっていう光景をはっきりと覚えているらしくて。
その人はその後、地元の醤油屋さんにもらわれて、しかも大人になった後は仲間と会社を起こして成功された方なので、当時のことを証言できるんですけど、ほとんどの孤児はそんな幸運には恵まれなかったから、死んだ子が伝えられないのはもちろん、ひっそりと生き残っている場合も証言がでてこない。「自分が話さないといけないんだ」っておっしゃっていたんですよね。
やっぱり何も言えずに死んでしまった人たちの方が絶対に多いはずだし、今も苦しみを抱えたまま口をつぐんでいる人もいる。そういう見えない人、見えにくい人、聞こえにくいかすかな「声」をこれからも伝えていきたいと思っています。
インタビュー・文 小田部 仁
Profile
Saho Terao
A mainstay of the Japanese folk scene, Terao’s career began with the release of Onmi (2007) from the late Ryuichi Sakamoto’s midi imprint. Onmi, featuring musicians including Gen Hoshino, and Ryosei Sato, established Terao as one of the brightest stars of Japan’s burgeoning folk scene. 17 years later, and with Japanese folk now a staple of indiehead playlists around the world, Terao has stayed steadfast in her dedication to Mitchell-esque writing while maintaining a pop sensibility that calls to mind city pop greats.
Besides her solo work, Terao also performs as the vocalist and pianist of the three-piece folk band Fuyu ni Wakarete, along with Reisavulo Adachi (Taikuh Jikang, Kataomoi), and Wataru Iga (Haruomi Hosono, Gen Hoshino) with whom she has released three albums. But her musical repretorie also extends into ethonomusicology, with a side project unearthing and rearranging folk tunes from Japan’s history. Her traditional folk music ensemble has so far released two collections of songs, with nearly forty tunes imbued with the pop sensiblities that make her solo albums so popular.
Terao’s work as a writer has also received critical acclaim in her home country, with nearly nine books covering topics ranging from the aftereffects of the Battle of Saipan, to a collection of autobiographical essays. Stunningly honest and yet meticulously researched, her voice as a writer is wholly unique. Extremely prolific, and constantly evolving, Terao’s career is well into its second decade; yet she shows no signs of slowing down soon.